このようにみれば、ヒトES細胞研究は人類の未来に計り知れない恩恵をもたらすともいえるが、同時にこの研究が倫理的に許されるかどうかも大きな課題である。そこで次に、この研究について今日論議されている問題点の幾つかを挙げてみよう。
第一に、このヒトES細胞研究が“人の生命の萌芽”である受精卵(初期胚)を壊わすことから始まることである。
先にのべたように、人の受精卵は受精して五〜六日たつと胚盤胞に成長し、母胎に着床するための「胎盤になる細胞の塊」(栄養外胚葉)と「胎児になる細胞の塊」(内部細胞)とに分かれる。この「胎児になる細胞の塊」だけを取り出して細胞をバラバラに分離し、これを特殊な方法で培養しヒトES細胞をつくるのである。受精卵を殺すのではないが、その機能をまったく破壊し、つまり修復できないまでに人為的にバラバラに解体し、特殊培養をほどこし、これを被験の対象とし他目的(胎児に育てること以外の目的)に使用しようというのである。
周知のように成人の身体は、約六十兆の細胞で構成されているが、その最初はただ一個の受精卵の分裂からである。つまり、人間の始まりは一つの受精卵からで、人体の遺伝子はすべてこの最初の受精卵と同一であり、いかに“一つの受精卵”が生命の元で聖なる存在かがわかる。人として活きいきと卵割をすすめている受精卵(初期胚)の内部を破壊してヒトES細胞をつくり、これを“モノ”としてさまざまな実験を加えるのである。実験はきわめて多様で、マウスに実施されると同様に、殺したり、薬品漬けにしたり、奇形化したり、キメラ(異種の動物と混合する)化したり、果てしない実験が加えられる。これは一個の生命の破壊というのみでなく、生命の加工であり人体実験であって、とても許される行為とは思えない。
しかし今日、これにたずさわる科学者たちは、受精卵(初期胚)はまだ人間の生命でなく、単なる生物学的な生命で、いわば「人間の可能性に過ぎない存在」との考えが根底にあり、「ES細胞は人格を持っていない。人間とはいえない。これを使った臓器の作製も、米国では研究がはじまっている」(今堀和友東京大名誉教授・生化学)としてこの研究を容認する。またアメリカ政府は、この研究を可能とする論理として「ES細胞を子宮に戻しても胎児にならないから、ES細胞は生命とはいえない。したがって、それを“いじる行為”は必ずしも倫理に反しない」という。ここでは、人の生命の始まりである受精卵(初期胚)破壊の事実には触れず、作製されたES細胞が胎児に戻ることがないから、といった論理を根拠に「倫理的な問題」を無理に封じ込み、ヒトES細胞の「医学的な将来性」や「経済的な効果」を優先させるため研究を容認しようというのである。果たしてこれは正しい結論といえるであろうか。
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