おほもと Oomoto

脳死のわが子は生きている

中村暁美さん

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2歳8カ月のときに「脳死」と診断された娘と1年9カ月にわたって生活をともにした中村暁美さん(東京都在住)は、法律で脳死を一律に人の死とし、こどもにまで臓器を提供させることに強く反対している。6月27日に東京都で、7月4日に大阪・京都の両市で行われた人類愛善会の臓器移植法改悪反対の街頭活動に参加し、翌5日には、梅松苑月次祭に参拝。祭典後、参拝者に自身の体験を切々と語り、脳死臓器移植法の改悪阻止を訴えた。

本日、こうした場をご提供いただき、娘・の話を紹介させていただけますことをありがたく、感謝申し上げます。

 娘が脳死状態になりましたが、私は一度も娘が死んだと思ったことはありませんでした。そんな私の体験を皆さま方にお話しさせていただきます。

六月二十七日、東京の上野でノン・ドナーカードを街頭で配布されるとお聞きし、私もその活動に参加させていただきました。さらに、七月四日には、大阪と京都で同じくノン・ドナーカード配布の街頭活動に参加させていただきました。

私は今まで一人で「脳死は人の死ではない」と訴えてきましたが、このたびは大本の皆さま方と活動をともにさせていただき、ありがたく思っております。

 脳死宣言をうけた娘・有里

私には娘を含め、こどもが四人おります。三人の男の子を授かり、四人目に初めて女の子を授かりました。とてもかわいい女の子で、名前を有里と名付け、わが家では姫のように扱い、家族の者から愛され、成長していました。


脳死は人の死ではないと語る中村暁美さん

ところが、二歳八カ月の時、その日は朝から風邪っぽい症状があり、掛かりつけの近所の小児科を受診いたしました。医師からはインフルエンザではない、単なる風邪であろうとのことで、安心したのも束の間、夜になって、ウトウトと眠っている娘が突然、大きなうめき声をあげ、手足のけいれんが始まりました。白目をむき、天井をにらみつけ、口からはブクブクと白い泡を出しているではありませんか。私は慌てて救急車を頼みました。駆けつけた救急隊員は、娘の様子を見て熱性けいれんであろうとのことでした。長男も三歳のとき、熱性けいれんを起こしたことがありましたので、熱性けいれんであれば、すぐにおさまるであろうとそれほど心配もしていませんでした。

搬送先の大学病院に救急隊員が連絡をしてくれましたところ、熱性けいれんの病状であれば、他の病院に行ってほしいと言われてしまい、さらに搬送先を検索しながら、近くの比較的規模の小さい総合病院に運ばれました。そこで一時間ほど、けいれん止めの点滴の措置を受けました。その間も娘のけいれんは治まらず、これはただの熱性けいれんではないのでは、という不安がよぎりだしました。医師に〝これは単なる熱性けいれんではないのではないでしょうか〟と尋ねてみましたが、医師は強い薬を使っているので、今しばらく様子を見ましょうと言ってくれました。

一時間以上がたって、病院内が慌ただしくなりました。娘のけいれんが一時間以上も治まらないので、隣の大学病院に転送することになりました。病院を移り、数時間がたったころ、娘は呼吸器を付けられ、数え切れないくらいの点滴の管につながれて、全く意識のない状態になりました。

二日後、主治医から回復不可能な脳死に近い状態であると告げられました。脳死の宣告を受けたのです。熱性けいれんだと思っていたのに、あっという間に、なぜこんなことになってしまったのか、全く理解できませんでした。さっきまでしゃべって笑って普通に生活していた子が、あっという間に脳死状態になったことに合点がゆきませんでした。

娘は呼吸器をつけてはいますが、心臓は一生懸命、自力で動いています。温かいぬくもりのある体で、髪の毛が伸び、爪が伸び、排せつも自力ででき、そういう状態で一年九カ月、生き続けたわけです。

 心臓が止まり体が冷たくなって

あるとき、娘の血圧がどんどん下がって医師からは覚悟をしてくださいと言われたことがありました。お兄ちゃんたちが駆けつけ、娘の手を握り、体をさすり、「有里、有里、がんばれ、がんばれ」と何度も呼びかけました。すると、不思議なことに下がり続けていた娘の血圧が徐々に上がり、危機の状態を脱出することができました。医師や看護師から、ご家族の愛が救ったのですねと言っていただきました。


有里ちゃんを囲む中村さん一家(平成18年5月、
中村暁美さん提供)

その体験を信じ、あとどのくらい生きることができるか分からない娘を家族の愛情の中で過ごさせたいと思い、在宅看護を申し出ました。医師からは出来ないこともないということでしたから、私は一日でもいいからと在宅看護に向けて準備を始めました。

というのは、小児科病棟に入院していましたので、お兄ちゃんらは面会がすぐに出来ない状態でした。親、両祖父母以外は病室に入れないので、お兄ちゃんたちの愛情を注いであげたいと思ったのです。

在宅看護には、看護師がされる看護をすべて出来るようにならなければなりません。主人と私がすべての看護を覚えなければいけなかったのです。しかし、覚えることを大変だと思わず、むしろ有里の世話ができることにたいへん幸せを感じました。

平成十九年十月に、在宅看護の許可が出ることになり、自宅での準備や、訪問看護師と往診していただく医師との調整などすべての準備ができ、あとは有里が帰って来るだけとなりました。

ところが、その一カ月前の九月、有里の状態が急変しました。私が夕方、病院から帰ろうとしたとき、容態が急変したと、呼び戻されました。

 医師が小さな娘の体に馬乗りになって心臓マッサージを施していました。本当に医師の方々は、脳死の子ということで、診療に差別されることなく、一生懸命、一つの命に向き合ってくださいました。死が目の前にあっても、弱っている心臓がそこにあっても、それをさせようと必死になってくださいました。

でも、その介護のかいもなく、九月二十四日の明け方、有里の心臓はほとんど鼓動を打たなくなってしまいました。私は医師に有里を抱かせてくださいと頼みました。主人から上のお兄ちゃん、そして私という順番で有里を抱きしめました。私の胸に有里を抱きしめたころには、有里の心臓の鼓動はなくなっていました。

有里が脳死であると宣告されたときは、娘の体は温かく、死んでいるとは認められませんでした。しかし、心臓が止まって体が冷たくなっていくとき、初めていま、お迎えが来たんだと実感しました。娘には手を伸ばしなさいと思わず言ってしまいました。どなたかが迎えに来てくださっていると思ったからです。きっと安らかなところから、迎えに来てくださったと信じています。こんな小さいこどもを一人で旅立たせることは、大変つらいことでありました。

 人の死を待って成り立つ医療

いま、脳死臓器移植法の改定で、一律、脳死を人の死とする法案が衆議院で可決されました。そして、参議院で審議し、速やかに通してしまおうとしています。人の命にかかわる問題なのに国会の都合にあわせて拙速な審議しか行われないことに大変な怒りを感じます。移植とは、助かる命の一方に、うちの娘のように温かい体を引き裂くという、人の死を待って成り立つ医療なのです。私は一年九カ月、娘が死んでいると思ったことは一度もありません。いとおしい掛け替えのない、たった一つの命で、娘は生きよう生きようと、生きているというメッセージを送り続けてくれました。娘との別れは悲しいことでありました。しかし、脳死状態の娘と一年九カ月の間をともに生活し、そして冷たくなっていく娘の最期をみとった体験をしたからこそ、皆さま方に何一つ隠すことなく、その体験を語り、〝脳死は人の死ではない〟ということをお伝えさせていただけると思っています。

あまりにも移植を受ける側のレシピエントの立場ばかりが、マスコミで取り上げられるという偏った報道がなされているように思います。私は脳死の子は生きているということを微力ながら、いろいろな方にお伝えさせていただいております。娘のことをお話させていただく中で、脳死や臓器移植のことをお考えいただければ、ありがたく存じます。皆さま方とともに脳死の子は生きていると声を大にしたいと思います。

このたび、脳死臓器移植反対活動で大本の方々とご縁をいただき、ともに活動させていただくようになりましたが、大本の皆さんは大変心優しい、温かい方ばかりだと感じます。それはやはり神さまのご守護をいただいておられるのだと改めて感じさせていただきました。

ノンドナーカード配布の街頭活動や今日、こうして月次祭に参拝させていただき、私自身、たいへん心洗われる思いです。さらに、脳死は人の死ではないという活動をすすめていく大きな勇気とお力をいただいたように思います。

どのように法律が決まろうが、小さいお子さんをお持ちの親御さん、またお孫さんをお持ちの方々に、私の体験を語りつつ、〝脳死は人の死ではない〟と声を上げていきたいと思います。皆さま方の温かいご支援をどうかよろしくお願い申し上げます。

(平成二十一年七月五日、梅松苑老松殿)

「おほもと」誌平成21年8月号から


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