ここでは、よく話題になる輸血についてご紹介します。
血液と感染症
皆さんよくご存知のように、血液にはA、B、AB、Oという型があり、さらにそれぞれにRHプラス・マイナスの別があります。もし違った型の血液を輸血すると、当然拒絶反応が起こってしまいます。
血液は、血漿という液体の成分とともに、血球という多くの細胞を含んでいます。血液の体積の半分弱が血漿で残りが血球です。血漿は塩分や栄養分としての糖分のほかに、様々な種類のタンパク質などを溶かし込んだ溶液です。
血球の大部分は、赤血球という身体のすみずみに酸素を運ぶ細胞で、ほかに細菌などを殺す白血球という細胞、出血を止めるはたらきをもつ血小板などがあります。
つまり血液は細胞から成り立っているわけで、このことから考えると血液も臓器であり、輸血は臓器移植であるといえるわけです。
しかし一般に、血液は臓器ではない、という見解もあり、この定義は一定ではないようです。
大本では、血液自体が身体の中で再生され、同一型では拒絶反応が起こらないことなどから、やむをえない場合の輸血に関しては、それを認めています。
ただ、輸血には大きなリスクもあります。それは、血液の中には、エイズのように病気の原因になるウイルスが入っている場合があるからです。つまり感染症といわれるもので、輸血をしたことによって、血液の中に入っていたウイルスが引き起こす病気までも、いっしょにもらってしまうということです。しかも恐いことに、このことはまだ解明されていない部分が多いようなのです。
輸血もダメなの
1998年夏、聖地(京都府亀岡市天恩郷)で開催された「第十七回大本青年祭」では、生命倫理問題分科会を行ないました。その一つが「脳死臓器移植問題を考える」で、特別講師に小児・思春期科医の阿部知子先生をお招きしました。先生には、医療現場の医師の立場から、とてもわかりやすく脳死臓器移植の問題についてお話いただきました。
分科会の最後に、質疑応答があり、ある青年が輸血について「輸血を受けることもいけないことなのですか」と質問しました。
これに対し阿部先生は、次のような内容の説明をされました。
「医師によって見解は違いますが、私は血液も臓器と同じだと思っています。私自身、現在は輸血は極力しないようにすすめています。近年人造血も出来てきていますし、以前にくらべると輸血自体が十分の一の使用になっています。
また、手術の前に自分の血液を採血しておいて、手術には自分の血液を使うということもかなり行なわれています。実は、血液の中には、その人がそれまで生きている間にかかった病気のすべての履歴、つまり病歴が蓄積されています。血液というのは、それほど重要なものなのです。ですから、輸血を受けるということは、その人のすべての病歴を引き受けるということにもなり、それなりの覚悟が必要となります」
医学的にみて、その人の過去の病気のデータが血液の中に蓄積されていくとは、大きな驚きでした。血液は病歴のデータベースでもあったのですね。
大本では、「血は霊につながる」というみ教えもあり、また、感染症の問題や血液と病歴の関係からも、輸血は出来るだけ避けた方がよいようです。
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