さらに「臓器移植法」の問題について勉強します。
衝撃的な町野班報告
『そしてご存じのように脳死による臓器移植法が来年の秋に改悪される事実です。十五才未満の子供にまで、親が承諾さえすれば脳死判定や臓器移植ができるように法が変えられようとしています。それが後一年に迫っています』
(平成十一年瑞生大祭ごあいさつ)
と教主さまがおっしゃっているように、厚生省では、脳死からの臓器提供を十五歳以上に限っている現行の「臓器移植法」では移植がすすまないとして、ドナーの年齢制限をなくす方向で、法律ならびにその適用の改悪をすすめています。
さらに恐いことには、「脳死は一律人の死である」という立場で、移植法を見直そうとしている動きもあります。
厚生省の研究班の一つ、「臓器移植の法的事項に関する研究班」(分担研究者、町野朔・上智大学法学部教授)がそれです。
今の「臓器移植法」は、臓器提供の意思をはっきりと持っている人が「脳死」に陥った場合に限り、家族の同意を得た上で、初めて「死者」として扱われ、臓器を摘出してよいとしています。
逆に言えば、臓器提供をしたくないと考えている人は、たとえ脳死になっても、決して「死者」にはならないのです。当然、周囲の人たちも、その人を「死者」として扱ってはなりません。
ところが、この研究班(以下町野班)の報告は、これを「脳死は一律に人の死である」と言い切ってしまおうと提言しているのです。つまり、病院のベッドに横たわっている患者さんは、脳死と判断された時点で、みんな「死体」になってしまいます。
積極的な署名活動を
この町野報告に対し、「論議を呼び、臓器移植法の安易な見直しの土壌を作るために、わざとおかしなものを出したのではないか」と言う声が、当然ながら上がっています。
町野報告の内容は、どうも論理があいまいなようです。
「子どもの臓器を摘出する権利は親にはない」と切々と訴えた直後、それがなかったかのように、「子どもでも大人でも、臓器提供したくないという意思表示がなく脳死になった場合は一律に、親や家族に臓器摘出の権利がある」「そうすれば便宜主義的という非難もなくなるし、すっきりする」と提案しています。
さらに、結論では、
「臓器提供の意思にかかわらず、脳死は一律人の死である」
「脳死になった人間が臓器提供を拒否する意思を示していない限り、家族の同意があれば臓器を摘出できる」
と提言しています。
いったいこの提言のどこが、すっきりしているのでしょうか?
移植推進派の先生たちがすっきりするだけで、尊い命の問題に対して、何をどう真剣に考えたのだろうかと、疑いたくなります。
しかし、こうした動きがすすんでいるのが現状です。
教主さまは、『今からが一番大切な正念場です』とお示しになり、以下のようにおっしゃっています。
『今ここで反対署名をいくら多く集めて提出しても、国の方針はそう簡単に変わらないかも知れません。それでも、この運動が全く無駄とは思えません。これだけの国民が反対の意志をもっていると認めてもらえるだけでも大きな意義があります』(同)
一九九九年十月は、脳死臓器移植反対「特別活動月間」で、本部からはすでに、「脳死・臓器移植反対署名全国縦断キャラバン隊」が六コースに分かれて派遣されています。
私たち大本青年もこのキャラバン隊に積極的に協力し、署名活動に取り組ませていただきましょう。
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