おほもと Oomoto

大本 教義に見る 脳死・臓器移植

  1. グローバル
  2. > 日本語ホームページ
  3. > 生命倫理

霊魂と肉体の関係

霊魂と肉体は、相対的関係にあり陰・陽、プラス・マイナス、水・火などと似て対極に位置するが、この両者の関係には大本の教えでいう「霊主体従」の法則が存在する。

この法則を人間に当てるならば、霊魂が“主”で肉体が“従”の位置にあり、宇宙全体に当てると究極的実在の神(霊)が主で、これによって創造された万有(体)は従の位置にあるとする。つまり、人間の場合は霊魂が本体で、肉体はその容器、居宅であって、霊魂によって肉体が動かされていると説く。しかし、この「霊主体従」は行動上の法則で、存在的には「霊体一致」が真理であり、法則と説く。

このように言えば、大本の教えは霊・体の二元論と思われるかもしれないが、そうではない。“霊”と“体”は、必然的な結合によって“力”を発生する。大本はこの“霊・力・体”によって立つ三位一体の三元論説である。一般に二元論の教えでは、体は霊に比べて低い卑しい位置とみなしやすいが、大本でいう“体”は、霊と結合して力を産出するきわめて重要な役割を担い、けっして体を低い卑しいものとのみ扱っているのではない。

人間の肉体は、霊魂を納め育む大切な容器で、霊魂とはあり方が違うが神性をもち、霊と結合して力を生じ、現実界にあっては「神の宮」(神霊を宿す生きた肉宮)として地上天国建設の神業に仕える重大な役割を担っている。

さて、人体には先にのべたように霊魂が全身に遍満し、各臓器器官および一つ一つの細胞において生命活動をおこなっている。この個々の細胞には、その人固有のDNAがあり、そこにはその人の霊魂の固有性が刻み込まれ、こうした形態などを通じて霊魂と肉体は全身で完全に一体化し、全体として人格的固有性をもつ単元的活動をおこない、人間の全業務を不断に遂行させている。   

こうした霊と体の関係の中でも特筆すべきは、人間の各臓器にその霊魂がもつさまざまな想念の働きが相応に分担されていることである。つまり、霊魂の働きと各臓器の働きのあいだには強いそれぞれの内的相関関係があるのである。具体的にいえば、人の下腹部(臍下丹田)は霊魂が鎮まる中枢部であり、昔から「肚を練る」などの言葉がある。脳は霊魂の働きの現界的対応の中枢であり、肺臓は霊魂の“信”や“智”の働きと深い内的関係をもち、心臓は霊魂の“愛”の情動と相応し深くつながっている。

こうした霊魂と各臓器の関係は『霊界物語』に、「神の神格は、人体中に相似せる各局部に流入してこれと相応したまふ」(第四十七巻第二十章)とあることでもいえるが、さらに霊魂の愛の情動と心臓の鼓動との内的つながりに関しては「心臓の鼓動が全く休止するまで、精霊がその肉体より分離せない理由は、心臓なるものは、情動に相応するがゆゑである。すべて情動なるものは、愛に属し、愛は人間生命の本体である。人間はこの愛によるがゆゑに、おのおの生命の熱があり、しかして、この和合の継続するうちは、相応の存在あるをもつて、精霊の生命なほ肉体中にあるのである」(第四十七巻第十一章)、また「情動なるものは心臓中にもあらず、心臓より来らざれども、これを心臓に帰するは、相応の理に基くためである」(同第二十章)とある。

これをより根源的視点からいえば、人間の愛の情動は主の神の愛の熱より出でたもので、人間生命の本体として霊魂に宿り、しかも霊魂がもつ愛の情動は心臓の鼓動と内的に深くつながるとされている。つまり、霊魂がもつ愛の情動は心臓中に存在するのではないが、心臓の鼓動と愛の情動との間には霊的な相応の内的関係があるため、心拍の完全停止と霊肉分離が一致するといわれる。繰り返すが、人の霊魂が心臓の鼓動の完全停止まで肉体を離れない理由は、霊魂の愛の情動が相応の理により心臓の鼓動とつながり、最終段階まで肉体の生命を維持させているためである。

このことを集約して聖師は次のようにのべている。

「肺臓の呼吸と心臓の鼓動とは、人間の本体たる精霊(霊魂)そのものを繋ぐところの命脈であって、この二つの官能を破壊する時は、精霊はたちまち己に帰り、独立し復活し得るのである」(『霊界物語』第四十七巻第十一章)


↑ 生命倫理問題へ戻る
← ホームへ戻る
igiari.JPG
ndc.gif
「異議あり!」紹介へ
ノンドナーカードへ
  
Ĉiuj rajtoj rezervitaj de OOMOTO.
©2010 OOMOTO. All rights reserved.