死後の容姿
既成宗教の多くは、人間の死後について詳述していない。したがって現代人の大半は、人間は死後生命や心は消滅する(霊魂の消滅)と思い、死後の霊界の存在についてはいささかも考慮しない。
しかし、宇宙は多くの人が考えるほど単純でなく、きわめて複雑で神秘にみちている。人間の死後は、その霊魂は現界にあったときと同じような霊的人身をもち、生命も心もそのまま持続する。すなわち記憶、意思、想念ももちつづけるのである。なぜなら、主の大神は生命の大根源であり不老不死の永遠の実在であるため、その分霊である人の霊魂も同様に消失することなく生きつづけるのである。
同時に、人の霊魂はその実体が“想念”であるため、現界にあってはその形態は眼に見ることができないが、霊界では「想念は形相をとる」との特性があるため、霊魂は想念相応の霊的形態をとり、霊界にあっては明瞭に見ることができるのである。
いま少し具体的にいうならば、人の霊魂は死の直後には霊界に生前の姿のまま出現するが、時間がたつにつれその霊魂がもつ外的要素(表面を覆う物質的要素の濃厚な想念)は霊界では使用することがないため次第に消失し、やがて霊魂の内奥部の想念(もっとも本質的想念)が露呈し、その想念の質に応じた形相(容姿)をとるようになる。つまり、霊界では時をへるにしたがって、内奥に利他的な善美な想念をもつ霊魂はきわめて美しい容姿となり、利己的な醜悪な想念の霊魂は醜悪な容姿をもつように変化し、やがてはその容姿をもったまま自己の想念と相似する霊域に自ずから移動し、そこに安住するようになる。
霊界には、神界(天界)、中界(中有界)、幽界(地獄界)の三大霊域があり、神界における霊魂は天人とよばれ善美な姿をとり、地獄界の霊魂は邪鬼とよばれ醜悪な姿をしている。つまり霊界では、至善・至美・至真・至愛の存在である主の大神の周辺には、これを慕って善美な霊魂(天人)が自ずから集まって広大な神界を形成し、天人たちは各自の愛善の徳に応じそこに幾つもの階層と無数の団体をつくって安住する。反対に醜悪なものは自ずから神に遠ざかり至醜・至悪の地獄界を形成する。すべての天人も地獄人もともに現界人の死後の姿である。
このように人は死後、現世にあったときの想念や記憶をそのまま霊界に持ち込むが、逆に人が現界に出生したときは前世の記憶をもたない。それは出生にさいし前世の記憶を消滅させられるからである。前世の記憶は、現世における人の修行に邪魔になり少しの益もないからである。
これに関し『霊界物語』には次のように示してある。
「すべて人間の心霊は肉体の亡びたる後といへども、人間の本体なる自己の感覚や意念は、引続き生存するものである」(第二十三巻「霊の礎八」)、また死の直後の姿については「死後の生涯に入れるとき、現実界にありし如、同じ形の身体を保ちて何らの相違なく、打ち見るところ塵身と霊身に何らの区別なし」(第十五巻「跋文」)とある。
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