過渡期の医療
大本が脳死・臓器移植を世に問うことになったのは、脳死の状態にある人からの移植のみでなく心臓死した人からの移植さらには生体移植についても、教義上からみて異議があったからである。最初に、脳死臓器移植以外の移植にたいする教義上の見解をのべておきたい。
この稿では先に、人間の身体は神から賦与されたその人固有のものとのべたが、これを教義上さらに厳密にいうならば、他者への移植は一切なされるべきではないとみている。
これに関する根拠は、わが国で古来から用いられている神道の大祓祝詞に、国津罪の一つとして「生肌断ち」の罪が記してあり、出口聖師はこれにたいし『霊界物語』に次の解釈を示していることによる。
すなわち、生肌断ちは「天賦の徳性を保ちゐる活物の皮膚を切ることなり。必要もなきに動物を害傷し、竹木を濫伐する事等はやはり罪悪である。霊気充満せる肉体に外科手術を施さずとも、立派に治癒する天賦の性能を有してゐる。人工的に切断したり切開したりするのは天則違反で、いたづらに人体毀損の罪を重ぬるわけになる」(第三十九巻「大祓祝詞解」)とある。
つまり、わが国では古来から人間や動物の身体を「人工的に切断したり切開したりする」ことは“国津罪”の一つとされており、聖師のこの解釈によれば生体移植もこれに該当する。
しかしながら、現代医療は発達したとはいえ、大本の教えからするとまだ未完成の過渡期にある。したがって上記の聖師の記述を忠実に遵守するならば、一切の外科手術は拒否せねばならない。現代にあってはそれは不可能であり、今日の医療は過渡期のものとして、多くの外科手術は容認しなくてはならない。
聖師によると、大本でいう真の医療とは神霊的な完全医療をいい、次のようにのべている。
「国土清浄の第二の重要事は医学の絶滅なり。医術益々精にして疾病は益々繁殖するなり。現代の医学は国土をけがす所の巨魁なり。世は医術に汚され宗教に魅せらる。医学と宗教とは神国の麗はしき国体を根本的に破壊するものなり。貧者は罪悪に赴き、富者は病院に赴く。これ天罰の自然なり。薬石は疾病の根本治療物にあらず、薬石は人の精神を破壊し、神魂を汚すものなり。潔斎し、根絶せざるべからず。…中略…吾人は宗教を根絶し、医術を根絶すべしと絶叫すると雖も、これに代るべき大宗教を提供し、大医術を提供すべきものたる事を」(「神霊界」誌・大正七年)
現代の医療は、こうした聖師の“大医術”からすると大きな隔たりがある。したがって現代にあって理想の医療を期待し、一切の手術や移植を拒否し排除することは困難であり、過渡期相応の医療を容認しなければ人々を惑わし社会に大きな弊害をもたらすことになる。こうした意味から聖師自身も過渡期の医療を認め、道歌に「病悩の身を天地に祈るともゆめ現世の医師をわすれな」と今日の医療を肯定しており、大本の信徒も脳死臓器移植以外はきわめて常識的に対応している。
したがって大本は、今日の移植医療にたいしては教団声明「臓器移植法案に関する要望書」(平成九年五月二日付)に「現段階においては提供者の死につながらない範囲においては移植も止むを得ないものとする」としている。
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