生命科学の行方
さて、今日の課題は脳死・臓器移植のみにあるのでなく、生命科学の急速な進展のなかに多くの深刻な問題が内在していることである。
二十一世紀は生命科学の時代といわれるように、生殖技術、遺伝子組み換え、クローン、ヒトゲノム研究、胚性幹細胞(ES細胞)培養など多岐にわたる研究が近年急激な進展と広がりをみせているが、そこにはその研究成果を利用し産業化、商業化しようとする巨大組織が構造化され、もはやこの潮流はとどめることのできない状況になっている。
しかし、これらの研究成果の一つ一つには、生態系を狂わせたり破壊させたりする可能性があるなど、人類の未来を左右する途方もなく大きな課題が指摘されているにも関わらず、これら生命にかかわる倫理の裏づけはきわめて希薄で、これに取り組む姿勢も全般に低調であることは遺憾である。
こうした生命科学の進展には、その分限を越えないように規制する生命倫理(バイオエシックス)の確立が不可欠であるが、この遅延とあいまって物質主義、功利主義、拝金主義の飽くなき貪欲な生命の“商品利用”の網が、あたかも無法状態のようにこれに群がり急速に拡大し、この不安を一層かきたてている。
生命倫理確立にたずさわる人々は、広い視野から人類の永遠の幸福のために利権に迷わされることなく遂行し、しかも地球規模でこれを定めねばならないが、その統一見解が国々の宗教、文化の差異から困難であるとするならば、国単位で統一ある検討がなされるべきである。それには科学のみでなく哲学、宗教、法律、行政などそれぞれの分野の公平な視点にたつ人々によって早急に計られるべきであろう。
わが国では昭和六十三年(一九八八)十一月に、「日本生命倫理学会」が各界の学者三百余人を発起人として生命倫理に関する諸問題を研究する組織として設立された。しかし、その後主だった成果は聞こえてこない。生命科学の研究とその利用にたいする許容範囲と歯止めを早急に提示する、より強力な機関が必要になっている。
今日のこうした憂慮すべき事態の行先には、どのような結果が待ちうけているのであろうか。科学は“禁断の木の実”を手にし、人間の増長とともにいよいよその魔性を発揮するのであろうか。
大本教義からすれば、生命倫理の確立には「生命」と「神霊、霊魂」の相関関係からの視点が不可欠で、このことなくして真の“確立”はあり得ないとみている。神霊と霊魂の存在を無視する現代科学は、それが進歩すればするほど、その誤ったパスワード(入り口)は万物の奥底の誤った扉をひらき、そこにある真実を鋭くゆがめて露出し、社会をますますパニック化させていくように思われる。
『大本神諭』には「神が表に現われて、神と学との力競べを致すぞよ。神には勝てんぞよ」(明治二十五年旧正月)と人知の専横が戒められているが、そこにはまた「世界の人民が改心が出来ぬ故、此の上は天災で見示を致さなならぬ事が出来るから…」(明治三十一年旧四月十六日)との警告もある。
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