人生には、“遊び”というものがなければ、ほんとうは、さみしいものでしょう。
けっきょく、人生を楽しむ境地にはいりえた時に、ほんとうの仕合わせが訪れてくるように思います。働く人々にとっては娯楽も必要でしょうが、ほんとうの遊びとは言えないように私は考えます。
遊びというものは、遊びを楽しみながら、道をおそわるものであると思っています。 (『寸葉集』巻一)
初心不可忘(しょしんわするべからず) 時々初心不可忘(じじしょしんわするべからず) 老后初心不可忘(ろうごしょしんわするべからず)
これは、世阿弥の自戒の言葉ですが、わたしもこれを座右の銘にしています。ところが、いつの間にか、それが観念的になっていて、後悔さきにたたずのあやまちを、くり返しています。
この三不可忘(わするべからず)の〈いましめ〉は能楽に限らず宗教(信仰人)、芸術、処世などすべての道に大切な心構えであると思います。とくに私たち大本人は、この戒めを念々よびおこし、主神からいただいた直霊のみ魂をみがきたいものです。
大本教祖のお筆先に「ぬきみの中にいるような心でいてくだされよ」とは、この初心不可忘のことを仰せられているのではないでしょうか。
わたしは平穏な日日に慣れて、ウカウカと上すべった言動をしていることがあります。また、わたしの周囲(めぐり)の、大小の事件をかえりみる時、それはみな天に吐いたみずからの唾が、おのれの顔にふりかかって来たものであることを知らされ、寂寥にたえぬ思いがいたします。
教祖のご存在のご在世のころ、教祖をめぐる人びとの中には、小間物の行商人、町の小さな米屋、駄菓子屋さん、川ぶしんの土工、そういった人びとが、仕事のかたわら、ご神業に奉仕していられましたが、その行動は、まことに真剣そのもので、世のつねの行商人、土工、駄菓子屋さんのそれではありませんでした。
四十数年をへたわたしの眼底(まなこ)に、その人びとの敬虔な姿が、彷彿と浮んできます。そして教祖をめぐる人びとのみならず、その教風は初心にみちた、真摯なものでした。(昭三三、三)(『私の手帖』)
歌集「ちり塚」に挿入の写真は、わたしがはじめて、若山牧水先生のもとに入門したころのもので、その前わたしは、作歌について自己流の考え方をしていたのです。
「人間はそれぞれ、神さまから直霊の一霊(みたま)をいただいている。それを発揚し、各人各様の歌を詠えばよいので、師匠につくなどの必要は更にない」
という古い役員の言葉に感化されて、単純に――作歌は感情のおもむくままに詠ってゆけばよいもの――と決めていました。
こういう態度での作品が「ちり塚」には含まれていますが、世間でも、歌になじみのない人は、作歌とは、そういうものであろうと、漠然と受けとめていられるようです。
それが、ある時から、間違った考えと思うようになりました。
感情のおもむくままに作歌してゆくとは、湧き上がってくる感情即こころの底の純粋な心の動きを作歌に移してゆくことで、この純粋な感情のままに作歌してゆくことは、歌の道で大成された方の作歌の姿でした。それを、初心のものや作歌の経験のないものは、思い違いをしています。作歌はやはり、作歌の道で苦労をし、その上で高度な行き方についていられる方を師匠として、その師匠について歩まして頂くことが順序であり、大切なことであるとおもいました。
わたしは少女のころ、明治維新の志士の歌などに刺戟(しげき)されて、歌というものがよく分からないままに、暗中模索といった恰好で作歌し、最初から良い先生につかなかったことを悔いました。
それから、作歌することは、美にあこがれる、心の底から湧いてくる情であって、強請(きょうせい)されて歌を詠むとか、義理で歌を作るようなことをしてもなんにもならないでしょう。
また、歌をつくるということは、歌ごころとか、歌興が湧く、そういう気持になってから詠めばよいという考えも、間違っているようです。作歌への感情が起きてから歌を作るのでなく、わたしたちは、作歌しようという努力から始めてゆかなければならないとおもいます。
人間は、万人が惟神(かんながら)に、詩精神という人間特有の種子を持っていることは事実でしょうが、わたしたちの自主的な努力を通じて、たとえば、詩歌の道をふむことによって、その存在が実証され、それら心のなかに頂いている種子を育てることができるとおもいます。
作歌は容易な道でなくとも、作歌することによって、わたしたちは、わたしたちの魂の資質を緻密にしてゆくことができ、わたしたちの人生に潤いを与えてくれます。
そして、作歌することは、精神に反省力をつけ、統一力をつけ、向上せしめ、魂の力となり、悦びとなるものを把握せしめます。したがって鎮魂の法でもあるわけです。
作歌は天地の真象に素直に対(むか)わしめ、素直に観、素直に受けて素直に学んでいく点から申しましても、わたしたちの信仰にとって大切なことであります。
わたしは、作歌によって、まず、心をなぐさめられ育てられつつ楽しく生きて来たことを、幸福におもっています。(昭二八、一一)(『私の手帖』)
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