おほもと Oomoto

聖師・出口王仁三郎

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聖師写真≪出生と昇天≫

明治4年(1871)、京都府亀岡市で出生。昭和23(1948)年1月19日、78歳で昇天。

≪幼少時代≫

神童・八ツ耳と言われるほど特別な霊能力を持つ。〈幼名・上田喜三郎〉。小作農の家庭に生まれ小学校を中退。農業のかたわら書生やラムネ製造、牛飼いなど辛酸をなめる。

≪高熊山での修行≫

明治31年(1898)旧2月、郷里の霊山・高熊山にて1週間の霊的修行を行う。霊界の秘奥をきわめ、天眼通、天耳通、天言通、宿命通、自他心通などの高度な霊能力を体得。救世の大使命を自覚。

開祖との出会い≫

「西北の方角をさして行け」との神示を受け、綾部の大本開祖を訪ねる。明治32年から開祖と力を合わせて神業を推進。やがて開祖の末子・すみこ(後の二代教主)と結婚。後に開祖とともに大本の教祖として大本の教えを説く。

≪霊界物語の口述≫

大正10年(1921)に出口王仁三郎は、人類の危機を救い、思想の混乱を正し、宗教・科学を真に生かし、人間の霊魂を改造すべく、永遠にわたる人類の指導書として81巻にわたる「霊界物語」を口述。

霊界物語は開祖の筆先の真意を解きあかし、天地創造に始まる地上霊界の歴史を述べた、地上天国建設の設計書。

≪万教同根と宗際化≫

大正12年(1923)、国際語エスペラントを導入。同14年(1925)、北京において世界宗教連合会を発足。続いて人種・民族・宗教等あらゆる有形無形の障壁を越えて、人類の大和合を唱導するため人類愛善会を創立。ベトナムのカオダイ教やドイツの白色旗団、ブルガリアの白色連盟等、広く世界の新精神運動と提携した。今日に至る宗教協力活動の礎を築く。

≪芸術と耀わん≫

王仁三郎は「芸術は宗教の母なり、芸術は宗教を生む」と主張し、「洪大無辺の大宇宙を創造したる神は大芸術家でなければならぬ。天地創造の原動力、これ大芸術の萌芽である」とのべた。さらに芸術と宗教の一体を説くとともに、自ら、自然を愛し芸術に親しんだ。文筆、書画、陶芸、詩・歌など、多方面にわたる膨大な数の芸術作品を残した。
→ 出口王仁三郎の芸術観(抜粋)

それら作品の中で、もっともつよく人々を驚かせたのは、晩年に全精力を注いだ手造りの楽茶わん3000個であった。フランス油絵のような鮮やかな色彩美により、昭和24年(1949)「耀わん」と名づけられた。のちに耀わんをはじめとする作品は、欧米6カ国13都市における海外芸術展「王仁三郎とその一門の芸術展」で展示され、大きな反響をよんだ。


★高熊山は亀岡市曽我部町の西方にあり、市の中心部から車で約20分。そこから徒歩登山約30分。参拝希望者は大本本部にお問い合わせ下さい。

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