12月31日の年越しは、マンハッタン・プラザ・ホテルで日本レストラン「太陽」を経営するヒラマツヒデオ・ミエさん夫妻の宅で過ごした。ヒラマツさんの邸宅に招待を受けるのはこれが二度目。この日は、大本インテルナツィーア職員のパウロ・セーザ、ソーニャ両氏とともに訪問。前回の招待のときに懇意になったテゴシさん夫妻とも再会。残念ながら、元農務大臣で現同省相談役のイシドロ山中さんはサンパウロに旅行中で会えなかった。ただテゴシさんは、最近、ブラジル・エネルギー省の会長に就任された。夫人のパトリシアさんは相変わらず料理家としてテレビに出演するなど活躍している。新年を迎えるとき、日本では除夜の鐘がなり始めるが、ここでは花火がはでに打ち上げられる。この日も話題はエスペラントと大本の話であった。
2006年の大本インテルナツィーア新年祭は、1月2日午前11時から始めさせていただいた。ブラジリアの12月、1月、2月の3ヶ月間ははほとんどの市民が交替で20日から30日に及ぶ休暇をとるため町はひっそりとしたものだ。ほとんどの人たちが家族旅行で遠隔地に行くためである。そんなわけで新年祭は大本インテルナツィーアの職員だけでさせていただいた。
新年祭が終わった後、午後9時からタグアチンガの数人のスピリティストの方々の会合がもたれた。大本インテルナツィーアからパウロ・セーザ、ソーニャ、そして私が出席させていただいた。世界的に有名なスピリティスト・ブローノ・グローニンについての講話のあと、私も少し大本のお話をさせていただき、そのあと基本宣伝歌と愛善歌の一つを歌わせていただいた。タグアチンガで孤児救済施設をされているソーニャ・マリアさん(大本インテルナツィーアの職員のソーニャさんと同名)にあらかじめ大本インテルナツィーアの庭からたくさん のマンゴを用意して「子供たちに」とことづけた。
タグアタチンガなどの衛星都市を含めブラジリアには200以上のさまざまなスピリティストの協会がある。そして、どの協会も孤児やお年寄り、病気の治療(心霊)などの施設を持ち、無償でご奉仕している。タグアチンガの「カザ・カミーヨ」は、カタリーナさんが世話をする「エウリペデス・バルサヌホ」とならぶ大きい施設である。ここには、私がブラジリアにきてから懇意にしていただいている元ブラジル連邦警察の事務総長のエウリペデス博士が理事としてお手伝いしている。1月7日に、タグアチンガ・エスペラント・クラブの事務所で会合が開かれたとき、一度エウリペデス博士に案内していただいたが、その折に、1月11日にもう一度おたずねする約束をした。子供たちにマンゴのジュースを持参し、少しのお話と歌を歌う約束もした。
この日(1月11日)は、午後5時に協会に到着、事務長のロス・アンゼルスさん(女性)に孤児が生活する施設を案内してもらった。広い土地に6軒ほどの家が並び、それぞれの家に一組の夫婦がおり、15名以上の孤児を自分の子供として世話をしている。少し心の痛む思いをした。事務所に帰ってくると理事のフランシスコさん(女性)が待っていて、7時に子供と父兄を全員食堂に呼んであるから来てくださいと知らせてくれた。7時になって食堂にゆくと、生徒と先生、父兄を含めて100名ほどが待っていた。初めにフランシスコさんが紙芝居のような方法で、「愛」の大切さについて30分ほど話をされた。そのあと私の紹介があり、私は、大本の話と、一生懸命生きる人は神さまがちゃんと見ているから皆さんよい子になってガンバッテください、というような話をした。そのあと、子供たちから日本の歌を歌ってほしいと要望があり、いつものように基本宣伝歌と童謡の「赤とんぼ」を歌った。カタリーナさんの宣伝が行き届いていて、どこのスピリティストの協会でも話だけではなく、いつの間にかアカペラで歌を歌う習慣がついてしまった。
子供たちと先生と父兄の皆さんの全体集会のあと、フランシスコさんの勧めで別棟の集会所で開かれる霊媒の皆さんの会合にも顔を出すことになった。そこでパウロの通訳で20分ほど大本の話とエスペラントの翻訳のときに体験した不思議な話などをさせたいただいた。今まで、10ヵ所のスピリティストの協会を訪問したが、どこでもスピリティストの方々の温かい歓迎を受けた。そして、いつも心が洗われる清々しい気持ちで帰ることができた。
1月15日(日)パウロ・セーザと私は、ブラジリアから300キロ離れた温泉と観光の町・ガウザスノーバスに向かった。3日前、画家のエルザさんから、エウリペデスさんもこちらに来ているから私も来ないかという勧めがあったからだ。ただし、温泉で休養をとるというような話ではなく、地元のテレビ局(34チャンネル)が私に興味をもち、インタビューをしたいと言っているから来ないかということであった。仕掛け人は、どうやらエルザさんとエウリペデス博士で、数日前二人でテレビ局に行き「面白い日本人がいるから」と売り込んだらしい。これには伏線があって、この町を愛する二人は(とくにエルザさんにとっては故郷)エスペラント運動をこの町に持ち込みたかったのである。それで、テレビ出演も含めて、スピリティスト協会の訪問やそこでの講演など、すでにスケジュールがびっしり組まれていた。この話を日本レストラン「太陽」のヒラマツミエさんに話すと、「それなら、そこで私の友達がうちの店と同じ名前の<太陽>という大きいホテルを経営しているからそこに泊まりなさい。電話して宿泊代も安くしてもらうように頼んであげますから」と泊まるところまでとんとん拍子。こうして1月15日午後3時、私とパウロ・セーザは、人口8万の温泉街の中心にあるホテル「太陽」に到着した。
1月16日午前9時エウリペデス博士、パウロ・セーザそして私は、カウダス・ノーバスのテレビ局に到着した。当初は、スタジオでインタビューを受けることになっていたが、私が着物を着ていたため、急遽、撮影は近くの日本庭園に変更。撮影ははじめにエウリペデス博士が私についての説明を行い、そのあと博士の通訳でインタビューが行われた。インタビューの内容は、私がカウダスノーバスに来た理由からはじまり、大本のこと、エスペラントのこと、エスペラントを学ぶと何がかわるのか、そして最後に市民の皆さんにエスペラントの学習を呼びかけるかたちで終わった。不思議なことに、約1時間ほど行われたインタビューの撮影の間だけ、池の噴水に綺麗な虹が現れていた。このインタビューは1月18日の夕方放送されるとのことであった。
テレビ撮影が終わってホテルに帰って一息ついていると、私たちが宿泊しているホテル「太陽」の支配人から「このホテルが慈善事業の一環として行っている孤児施設と老人ホームをぜひ見てほしい」という依頼を受け、急遽、この二つの施設を訪れることになった。孤児施設のほうは、まだ建設中の建物などもあり、比較的新しい施設であることが伺えた。どの子供も問題を抱えてこの施設にきているわけだが、先生によると、どの子も少しずつ心の傷が癒え明るくなってきているとのこと。子供たちのたっての要望で、日本の童謡「赤とんぼ」を教えることになり、最後に一緒に歌った。孤児施設のあとは、老人ホームを訪れた。ここの老人ホームは、やはり問題を抱えているお年寄りばかりをひきとり、無償で世話している施設である。支配人によると、この二つの施設は、すべてホテルの収益でまかなっているそうである。ホテル「太陽」はこういう慈善施設のほかに、自然農法もてがけていて収穫される野菜や果物はホテルのレストランで使われているとのことである。
二つの施設を訪問して帰ってくると、ホテル「太陽」のオーナー佐藤さんが待っていてくださり、プールサイドでいろいろお話させていただいた。その後、すぐエウリペデス博士の案内で、市内のスピリティスト協会とカトリックが経営する保育園を訪問。そして午後5時、エウリペデス博士が宿泊しているホテル「リオ・ジ・ペドロ」でホテルのお客さんと従業員を対象とした講演を行い、ここでも愛善歌と日本の歌など3曲を披露。そして午後8時、先ほど訪れたスピリティストの協会とは別の、「アラン・カルデック」協会の集会に参加し、カウダスノーバスでのすべての行事を無事終えることができた。カウダスノーバスは、ブラジリアを中心として、遠くサンパウロやポルト・アレグレからも観光客がやってくる、日本で言うと熱海や別府などに匹敵する温泉都市です。周りはすべて温泉を楽しむ観光客ばかりの中でこんなに忙しく立ち働いた経験は今までなかったような気がした。














