1月1日、午前11時プラナルチーナの「谷間の暁」のミサからOI(大本インテルナツィーア)に帰苑。午前中、新年祭の準備。午後3時、パウロと二人だけで新年祭。
2日、午前中、ウニオ・プラネダのクラリモンド氏が来苑。妹さん(イルベッチさん)の大本訪問に関する件で相談に。ブラジル人には、米国のビザがなかなかおりないと心配していたが、トランジットだけだから大丈夫と答える。
3日午後、カトリック修道院が経営する「老人施設」を訪問するためタグアチンガへ。ゴアラのウンバンダ協会「今、調和の時」の会長夫人で霊媒長のクレイジーさんから許可をいただいて、精霊・エシューが降臨するときに霊媒が被るやまたか帽子を使って歌を歌い、バラの花を皆さんにプレゼントする。たいへん喜ばれる。
4日、クラリモンド・イルベッチ兄妹が来苑。イルベッチさんの大本訪問滞在の件で打ち合わせ。午後、パウロ・ソーニャとシティーバンクとイタウ銀行へ。そのあと、日本大使館に長年勤務していたエスペランチストの紹介で、パチオ・ブラジルの中にある旅行代理店へ。この旅行者はJALの代理店で、マツモト・エミコさんという日系人が経営している。ことしの夏の日本訪問キャランバンの世話をしてもらうのは、ここが一番よさそう。
5日午後、カトリックが経営する孤児施設「イエス・キリストの聖心」へ。子供たちに日本の話しをしたり、日本の歌を紹介。ここでもバラの花を贈って喜ばれた。夕刻、ジョゼ・フランシスコ博士(AOIの会員)が来苑。AOIで扱える養蜂製品のカタログを持参、その説明をうける。
6日午後7時、タグアチンガの小学校「ジ・ナザレ」を経営するスピリティスト・ソーニャ・フェイトーザさんの主宰する会合に出席。
明日から13日までパウロと、アラシャ、ピウイ、ウベルランジャとミナジェライス州の3つの市を訪問する。車の全走行キロ数は、約1700キロメートル。アラシャでは、ブラジルでスピリティズムの協会が経営する中で最も大きい老人施設を訪問する。ピウイでは、スピリティスト協会とカトリックが経営する老人施設、ウベルランジャでは、大本のウベルランジャ支部を訪問する。それぞれ今後のブラジリアの活動展開に大きい意味を持つ。
7日午前10時、職員に見送られて大本インテルナツィーアを出発。午後6時、アラシャ市内に入る。ここには温泉も湧いていると聞く。まず手ごろなホテルを探して落ち着く。夕食を近くのレストランですませる。ついでにアラシャ市内の地理情報を得る。
8日朝食後、アラシャのエスペランチスト・レイモンドさんに電話。レイモンドさんとは、昨年のカンピーナスのエスペラント大会でお会いし、少し話をしたことがある。レイモンドさんは、アラシャ市内のブラジル銀行に勤務、この日はすでに出勤されており、銀行を訪ねることに。銀行内で少しお話をしたあと、レイモンドさんが夫人のマルシアさんに電話をしてくださり、午後3時頃、ホテルに夫人が迎えにきてくださることに。午後3時まで時間があるため、アラシャの歴史が分かる壁絵が展示されているという国立ホテルの資料館を訪ねることに。アラシャというのは先住民の言葉で、もともとヨーロッパ人が入ってくる前は、インディオが住んでいたところ。
午後3時、マルシアさんがご子息とともにホテルに迎えにきてくださる。マルシアさんに案内していただき訪れたのは、アラシャのスピリティスト協会・カザ・ド・カミュが経営する老人ホームで、ここには500人を超える老人が暮らしている。医療施設も整っていて、たくさんの医師・看護婦が働いている。また、スピリティストが集まる礼拝所も同じ敷地の中にあり、広い施設の中にはテレビスタジオもありケーブルのチャンネルも持っているという。一通り案内されたあと、この大きい老人ホーム兼病院の経営者であるジョゼ・タジウさんと懇談。
カザ・ド・カミュのあと、マルシアさんが経営する弁護士事務所へ行き、お友達でやはり弁護士のビアンカ・ローザさん(エスペランチスト)とお会いし懇談。マルシアさんによれば、次の町・ピウイまでの道路が最近の長雨で穴だらけになっているため、時間がかかるから暗くなる前に出発することに。
歴史の街・アラシャでは、レイモンドさん奥さんのマルシアさん、スピリティスト協会・カザ・ド・カミュの皆さんに、大本のお話をさせていただき、今後、ともに活動することを約束した。
9日午後5時、カザ・ド・カミュの町を後にして一路ピウイ市に向かった。噂どおり道が劣悪になっており、普通なら2時間くらいで着くところを4時間もかかってしまう。ピウイ市での仕事は、カトリックが経営する老人ホームの慰問とピウイ市のスピリティスト協会のミサで講演をすることだが、それは明後日の11日と12日に行われる予定であるということと、市内まではまだ2時間くらいかかるため、スピリティストに紹介されたホテルにひとまず落ち着くことに。2年前にできた新しいホテルで、アマゾンとならんで生物のたくさん生息するブラジルでも最も大きいとされる湖のほとりに立っている。
10日、パウロが運転で疲れているため、今日は一日ホテルで休養をとることに。このホテルのオーナーがエスペラントに大変興味を持っているため、説明と少しのレッスンをする。簡単なあいさつは話せるようになった。また、大本にも興味を持たれ、必ず再会することを約束。
11日午前10時、「バネィリ湖水ホテル」を後にして、一路ピウイ市内へ。一旦、市内のホテルに落ち着いたあと、市内で昼食をとり、その後、今回の行事をセッティングして下さったスピリティストのアドナイさん(男性)を訪ねる。そこに、地元のエスペランティストでスピリティストのエウリペデスさん(男性)がすでに来ており、とりあえずエウリペデスさんの案内で老人施設「サンタ・ヴィセンゾ・ジ・パウロ」へ。途中、ピウイで霊媒だけの協会を主宰するエリザベッチ(女性)さんと合流する。エリザベッチさんはこの老人施設にはときどき出入りしているらしかった。私たちがエリザベッチさんと合流しているあいだ、アドナイさんは息子さんとすでに到着していた。この老人施設は、カトリックが経営。責任者は修道女のコスチュームを着ていた。施設内を一通り案内していただいたあと、食堂で大本と日本のお話、愛善歌などを披露。今まで、数多くの老人施設、孤児施設を訪問させていただいたが、日本についての正しい知識をもっている人たちはごくわずかで、花瓶の花を指差して「あんな綺麗な花は日本には咲いているのか」とか「高いビルはあるのか」とか、そんな質問を受けることもしばしば。ただ、終わったあとは、どこでも皆さんうれしそうに握手をもとめてきてくれるのでほっとする。
老人施設慰問のあと、いったんホテルへもどり休憩したあと、午後7時から、アドナイさんのスピリティスト協会「ベゼラ・ジ・メネゼフ」で、ミサの前に大本についての講演と愛善歌の歌唱を行う。終わってから私のところに来て、CDは出していないのかと買いにみえた方も。
「ベゼラ・ジ・メネゼフ」でイベントを終えたあと、エルザベッチさんの招きでご自宅を訪問。しばしご家族と懇談のあと、午後10時ホテルへと帰る。
12日午前9時、ホテルをチェックアウト。昨日、お世話になったアドナイさんにお別れのあいさつをするため、アドナイさんが経営するパン屋さんに立ち寄る。ちょうどエウリペデスさんもおられ、コーヒーをいただきながら少しおしゃべりをして次の訪問先であるウベルランジャ市をめざす。午後3時ウベルランジャ市に到着。市内で遅い昼食を済ませたあと、ホテルにチェックイン。
13日午前10時、ホテルをチェックアウトし、大本ウベルランジャ支部を訪問。支部のタナカ・スエコさんとシマモトさんが出迎えてくださる。全員で支部の神さまにお参りしたあと、支部の皆さんと昼食をいただきながら意見交換。シマモトさんは、94歳でなお、かくしゃくとしておられた。この支部の大長老。シマモトさんのお話では、ブラジルの大本は、ここウベルランジャからはじまり、当初は、現地人の信者さんもたくさんおられたが、大戦を境にして信者さんの数は減ってゆき、現在では、数人の支部員を残すのみとなってしまった。また、現地人の信者さんは、ほとんどはカトリックに戻ってしまったのこと。ウベルランジャには、スピリティストの協会も大本の神さまを最も理解しているウンバンダの協会もあるから、今、大本インテルナツィーアがしているようなエクメニズムの活動が必要かもしれない。今後の支部の活動のありかたなどを熱心に話し合ったあと、支部のみなさんと再会を約して午後5時、ウベルランジャをあとにした。ブラジリアからアラシャ、ピウイ、ウベルランジャとミナジェライス州の三つの市を訪問した一週間の旅は無事、幕を閉じた。
16日、イルベッチさんの大本訪問で、日本航空を使う場合、料金は安いがアメリカのビザが要るため難色を示し、ヨーロッパ経由の飛行機を探していたウルスラさん、最終的に日本航空を使うことに。ただ、決定に時間がかかったため、アメリカ・ビザの申請時間に問題が出てくるのではないかと少し心配。
17日、午前中、イルベッチさん招待状の内容確認のため日本大使館を訪問。秘書のアーミさん、領事に直接、尋ねてくださり、承認を得る。大使館から帰苑後、すぐに吾郷さんに連絡、正式の招待状がこちらに届き次第ビザの申請を。大本訪問キャラバンにおけるホテルの宿泊日程変更の依頼を本部の奥脇さんに依頼。本部の斉藤さんからの連絡で広瀬総長ご昇天。OIから弔文を送付。ベネジット・シルバ先生に報告、弔文を依頼。
18日、ブラジリアの全エスペランチストに広瀬総長ご昇天の報をインターネットで配信。すぐにリシオ博士から弔文が届く。その後、ハリー・ミルトン、アジルソン・リマ、カールス・マリーア、サンドロ・マリアの各氏から次々と弔文が届く。キャラバン広報文のポルトガル訳をブラジリア大学のマリオ・ホンセカ氏に依頼。
19日、エウリペデス・バルボーザ、カールス・ドリーニ、ルッカス・ヤスムラ(サンパウロから)各氏、ブラジリア・エスペラント協会から広瀬総長への弔文が届く。
24日午前中、画家・エルザさん宅を訪問。かねてから教主さまの肖像画を製作する約束があり、教主さまのお写真をお渡しする。また、OI機関誌第3号の表紙絵について相談。カウダス・ノーバスの日本庭園に決まる。昼食をご馳走になったあと、次男・ルシアン君のお取次ぎ。
25日午後、ウンバンダ協会「聖マリア」を訪ね、会長のトンプソン氏に教主さまからの贈り物をお渡しする。たいへん喜んでおられた。
27日午後、ゴアラの「今調和の時」へ。今日は、基本宣伝歌と愛善歌、日本の歌などを歌う日。車が修理中で使えないため、ウニオ・プラネダのクラリモンド氏(イルベッチさんのお兄さん)が車で送ってくれる。
28日午前中、タグアチンガ・エスクラブのマテンカーフォに。車がないためジョゼ・フランシスコ博士が送ってくださる。夏のキャラバンについて説明。ソーニャがポルトガル語に訳す。
30日、LBV(善意のレジョン)パイバーネット会長秘書から連絡が入り、会長が大本の祝詞が欲しいとのこと。日拝詞のポルトガルバージョンを送付。









