6月16日 シルバ氏、ソーニア、パウロ・セーザとともにゴアラ「今調和のとき」へ。前田が精霊召喚セレモニー前の講話と鎮魂を行う。霊媒・カルロスがシルバ氏を紹介。生前のシコ・シャビエルと親交のあったことが紹介されると、参加者から驚きの声が漏れる。この日は、精霊召喚の音楽が霊媒の歌だけでマクンバがなかったが、最後のほうで私とシルバ氏のために何曲かマクンバを演奏してくれる。
17日 先日来から、ジャッカ、マンゴなど13本の庭の樹木を伐採。樹木間のスペースがないため隣同士の樹木の枝が交錯して枯れてきているための処置。下院議員・高山代議士の事務所に勤務するベンチニオという男性から電話、ポルトガル語なのでシルバ氏に聞いてもらうと、明日、明後日と下院議員会館で、日本移民99周年の行事が行われるのでぜひ出席してほしいとのことであった。
18日 シルバ氏は午前中リオ・プレートへ。午後3時、ソーニア、オベルトと下院議員会館へ。日本移民99周年の行事に出席(詳細は別に報告)
19日午前10時、昨日に引き続き、下院議員会館へでの日本移民99周年の行事に出席(詳細は別途報告)
20日 救仁郷代議士から電話があり、昨日、高山下院議員と3名で夕食をともにする約束をしたが、ルーラ大統領の呼び出しがあり、キャンセルとなった。
21日 前田は「Bonvenon al Oomoto!」における「歌祭り献詠歌」の添削と選歌、ソーニャは、キャラバンに関する仕事。
22日 前田は歌祭り朗詠短歌の選歌と添削。ソーニャはキャラバン関係の仕事。
23日午前11時、熊本のエスペランチスト・原田ツクロウ氏、ジョゼイアスさんに連れられて来苑した。
24日午前中、タグアチンガ・エスペラント・クラブのマテン・カーフォ。午後5時コンピュータ技師来苑。オメガ・ツーリストの社長マツモト・エミコさんの紹介。
25日 ブラジランジャのザメンホフ小学校・アダイル校長からキャラバンの件で電話がはいる。参加を検討しているとのこと。
26日 ソーニャはブラジリア・エス協会の役員会に出席、ブラジル・エス連盟の役員選出で混乱が見られるとのこと。
27日午前中、ソーニャはブラジル・エスペラント連盟の事務所へ。前田の年会費とブラジル・エスペラント大会参加費の払い込み。
28日午前中、シティーバンクへ。午後、本部への報告書を作成。
29日午前中、ソーニャとオベルトはバンコ・ド・ブラジルへ。前田は、事務所で翻訳や事務。
30日 午後からタグアチンガ・エスペラントクラブの役員会へ役員の新体制を決める会合にソーニャが出席。前田は、風邪で体調悪く事務所で書類などの整理。午後、シルバ氏から電話があり、ブラジル・エスペラント大会の打ち合わせを行う。
7月1日 ボーナ・エスペーロの記念祭にソーニャが出席。前田は、体調がわるく欠席。メッセージとお祝い金をソーニャに託す。
2日 本日で、長くかかった建物全体の電気系統の工事が終了。後は、前田の部屋をはじめ、いくつかの部屋のシステムを電灯から蛍光灯に換える作業が残る。
3日午前中、パイバネット会長への贈り物「長生殿の写真」の額を注文。午後、タグアチンガ役員会及び夕食会。
ソーニャはリオのガレオン空港に前田を迎えに来てくれるエスペランチストをインターネットで募集。
4日 ソーニャはオメガ旅行社へ。
10日から15日まで、リオ・デ・ジャネイロでのブラジル・エスペラント大会とサンパウロでの国際的NGO組織「善意のレジョン(LBV)」の青年大会に参加。救仁郷下院議員の事務所への訪問は14日の夜にしてもらう。
前田は、午前9時45分発のGL機でリオ・デ・ジャネイロに出発。リオのガレオン空港には、11時30分に到着。飛行場にクレートとジナウダがタクシーで迎えに。そのまま前田が滞在するホテルまで直行。荷物をホテルの部屋に置き、大会会場になっているSUESC大学へ。大会会場で藤本特派や鹿内本部長、ジャンジーラの人たちと会う。着いてすぐ、地元のテレビ局のインタビューを受ける。まずペドロ・カバリエロ・ブラジルエス連盟会長を捜し、大会への寄付金を渡す。そのあと、シルバ氏夫妻と会う。夕刻、シルバ氏夫妻は、スピリティスト連盟主催の講演会に。前田は、藤本特派、鹿内本部長、そして南米本部の人たちと近くのレストランで夕食をとりながら明日の分科会の打ち合わせをする。
11日午前9時から、ĉambro Couto Fernandes で大本分科会を開催。参加者は約50人、ブラジルで最も著名なエスペランチストSylla Chaves さんの顔も。全体的に大変清楚な気持ちのよい分科会だった。特に、南米本部製作によるスライドを使用した「大本とは」は大変分りやすくてよかった。講話はシルバ氏も前田も何の用意もしていなかったので、ぶっつけ本番で、前田が「人類愛善会と大本と歌祭り」について、シルバ氏が「歴代・教主教主補さまについて」を講話。また参加者の中に今度、キャラバンに参加して大本を訪問する2人のアパレシーダさんの顔も見えた。
12日大会5日目、この日はエメルソン氏(OI機関誌の責任ジャーナリスト)が主催する分科会「日本語について」に参加。エメルソン氏は最近、ブラジリア大学の日本語学科を卒業、その講演会がブラジリア大学でも行われた。
この日は、2本のテレビインタビューを受ける。
13日大会最後の日、この日は午前中、昨年、青年論文コンクールで優勝し、ヨーロッパをエスペラントで旅行したルッカス・ヴィグノイ君(大学生)のスライドによる講演会があり、シルバ氏夫妻と出席。エスペラントをはじめてからまだ2年足らずのルッカス君が1時間の講演を堂々とつとめた。このコンクールは、教主の寄付金からはじめられたわけだが、将来、ブラジル・エス運動を背負ってたつ逸材が育ったことにうれしさがこみ上げる。講演には100人以上が出席、とくに若い人たちの顔がたくさん見られた。
最後に、ペドロ・カバリエロ会長からあいさつがあり、今年も「大本の教主さまから寄付金をいただきましたので、急きょ、コンクールを開きます。テーマは“国語の中のエスペラントとエスペラント運動の壁”です」と発表。
このあと同じ会場でブラジル・エス連盟の役員改選が行われ、会長は、ペドロ・カバリエロ氏に変わって、ジョゼ・パッシーニ氏(元UEA役員)が選ばれ、ブラジリアから事務局長、第一書記など多数が選出された。午後から、閉会式で、前田があいさつすることになっていたが、飛行機の出発時間と重なってしまったので、友人のジョゼイアス氏が前田のあいさつを皆さんに伝えていただくことにした。
午後2時、ホテルでシルバ氏夫妻に別れを告げ、タクシーで迎えに来てくれたクレートとガレオン空港へ。飛行機の出発が3時間遅れるというアナウンスがあり、すぐにソーニャに電話、サンパウロ・ガルーリョ空港に前田を迎えにきてくれているパイバネット会長の第一秘書ハッケオ・ベルトリンさんに連絡してもらう。結局、17時20分に着くはずが21時に到着。ハッケオ・ベルトリンさんと通訳してくれたLBV中学校の生徒、それに運転手さんも3時間待たしてしまった。どれだけ長く待たされても疲れた顔一つ見せずにニコニコ笑って迎えてくれるのはブラジルの人ならでは。ハッケオさんにそのままホテルまで送ってもらう。
14日昼前、パウロ・セーザ氏がホテルに迎えにきてくれる。昼食を近くの日本レストランで済ませたあと、タクシーでLBV-全国青年大会の会場になっているサンパウロ体育館へ。体育館の周囲は、さまざまなテレビ・ラジオ局の中継車と参加の人々でごった返していた。体育館の中に足を踏み入れると、日本の野球場のような円形の客席が数万人の人々で(若者だけでなく大人も子供もいた)埋め尽くされていた。舞台上では、有名な黒人歌手やオーケストラがいて演奏中だった。私とパウロセーザは、幹部に案内されて舞台裏にある来賓の控え室へ。午後4時、係員の案内で、政治家、ジャーナリスト、文化人などの方々と舞台上の来賓席に落ち着く。なぜか私の席は一番前の列で最も目立つところだった。
午後4時、パイバネット会長が登場、会場は割れんばかりの歓声につつまれた。会長の講演は、今、ブラジルを苦しめている政治的、教育的問題などに触れ、会場の青年たちに「私たちはさまざまな悪の要因をもつ問題を解決するために、正しい宗教、たとえば大本などの正しい宗教の神さまに祈りを捧げなければならない」と堂々演説された。そして、並み居る来賓の中で、私一人だけ名指し、会場の人々に紹介してくださった。会長の演説はおよそ3時間つづき、最後に(これはいつも最後に行われる儀式)パイネット会長が会場の人たちにバラの花びらを浮かべた聖水をふりかけて回った。このあと、舞台裏で、大本教主からの贈りものとして、前田が長生殿の写真を手渡した。
この日、LBVの大会のあと、下院議員の救仁郷代議士を訪ねる約束をしていたのでハッケオさんに代議士の事務所に電話してもらったが、昨日、急にルーラ大統領に呼び出しを受け、ブラジリアに飛んだとのこと。またも、ルーラ大統領が原因で、お会いすることができなかった。
15日 10日からのすべての旅の日程をこなし、午前11時、パウロ・セーザに見送られてサンパウロ・コンゴーニャス空港を飛び立ち、ブラジリアへ向かった。
大本インテルナツィーア所長 前田茂樹
ブラジル連邦共和国下院議員119人、上院議員21人で組織される伯日議員連盟主催による日本人移民99周年記念大会が、三権広場のブラジル国会議事堂下院議員会館で、6月18、19の両日、開催され、私は、来賓として招待を受けた。これは、高山秀和・下院外交防衛委員会理事・伯日議員連盟会長の指名によるものであった。
ブラジル日本移民最初の781人が、笠戸丸でサントス港に上陸したのが1908年6月18日、来年がその100周年にあたり、ブラジル全土をあげて記念行事が計画されている。そして、99年目にあたる本年、ブラジリアでは、国会議事堂内下院議員会議室で国会議員によるお祝い行事が行われた。
この記念大会には、教育、文化、農業などブラジル国内の各分野で活動されている日系人が出席。私は日本人宗教家として招待を受けた。
6月16日、大本インテルナツィーアにベンチリオという見知らぬ男性から一本の電話が入った。ポルトガル語だったので、ちょうどOIに滞在中だったベネジット・シルバ氏に電話に出てもらい用向きを聞いてもらった。その用向きとは、「6月18日から19日まで下院議員会議室において、伯日議員連盟主催による『日本人移民99周年記念大会』が開催されるので、私(前田)にっぜひ出席して欲しい」という、高山秀和伯日議員連盟主会長からの伝言であった。
今までOI自体の活動に精いっぱいの有様で、日本人移民についてはじっくり考える余裕がなかったが、シルバ氏やパウロ・セーザ氏から「こんなことは普通ではめったにあることでないし、大本のためにどんな良い出会いがあるか分からないから招待に応じるべき」と強く勧められ、パウロ・セーザ氏とソーニャさん(OI勤務)に秘書として同行してもらい出席することになった。
6月18日、大会は、はじめにブラジル・日本両国の国歌が出席者によって斉唱され、正面に高山会長をはじめ、下院議員・上院議員の代表が着席。大会は政治家の集まりで、それぞれの議員が5分間ずつ演説を行った。印象的だったのは、どの議員も今日までの日系人の努力と苦労に言及し、心から感謝の意を表していたことだ。日本人として誇りに思うと同時に、日系人コロニア(※注)の皆さんの今日までの苦労を思うと胸の熱くなるのを禁じえなかった。1時間ほど、いろいろな議員の演説が行われたあと、司会者が私の名前を呼び上げ、「議員一同、出席に感謝いたします」というアナウンスがあり、紹介された。
その後、武道や歌、踊りなどの奉納に移り、このとき、パウロ・セーザ氏が私のところへ来て、一番前の席に連れていく。そこには、それまでひな壇にいた議員が座っており、その中で、ひときわ目立つ白のスーツを着たかなりお年をめした議員が隣の席に私を導いてくれた。それで、私の右隣がその議員、そして左が高山会長という位置取りとなり、私ははじめてお会いする日系の2人の下院議員にはさまれたかたちになった。この白いスーツの議員が救仁郷靖憲(くにごうやすのり)という珍しい名の政治家で、高山会長のほうは残念ながら全く日本語を話すことができなかったため、救仁郷代議士が美しい日本語で通訳してくださり、いろいろお話させていただくことができた。
私は、機関誌「大本インテルナツィーア」の第2号を贈呈し、大本の宣伝使としてブラジリアに拠点をかまえ、大本の神さまのみ教えを世界に広めるため、活動していること、大本の世界観・宗教観、過去の歴史、現在の活動などをお話しさせていただいた。
救仁郷議員は私の説明に黙って静かに耳を傾けておられ、そして「分かりました。今後、大本をブラジルの中でどういうふうに発展させてゆくか、隣にいる高山や下院議員の有志で考えてゆきましょう」と思ってもみない返事がかえってきた。
そして、すぐに私を島内憲・在ブラジル連邦共和国大使館・特命全権大使のところへ連れて行き、紹介してくれ、20日の午後8時、救仁郷・高山両代議士、そして私の3人で市内のレストランで食事をとりながら相談することになった。
ところが、20日の午前中、救仁郷代議士から電話がはいり、約束の時刻に「ルーラ大統領から高山と私が、来年の日本人移民100周年記念行事の件で呼び出しを受けてしまったので、今夜は残念ですがいけません」とのことで、7月13日、サンパウロでパイバネット会長とお会いする前日の夕方に救仁郷代議士のサンパウロ事務所を訪ねることになった。
伯日議員連盟の事務所から入った一本の電話が、思ってもみない結果をもたらすことになった。
7月13日の救仁郷代議士事務所訪問については、また後日、報告させていただきます。
※日系コロニア…コロニアは、ポルトガル語で「移民集団」のこと。ブラジルでは、海外のあらゆる国から移住した人たちが国ごとに集団をつくって生計を立てており、そういった集団のことを日系コロニア、イタリア系コロニアなどと呼ぶ習慣がある。













