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「出口王仁三郎」を語る

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評 論

芸術は宗教の母である

木村 重信(きむら しげのぶ=兵庫県立美術館名誉館長)


 

私が初めて出口王仁三郎の、いわゆる「耀わん」に接したのは、昭和24年、大阪の阪急デパートの展覧会においてであった。赤・青・黄・緑などの原色の釉薬をほどこした楽茶碗で、私はその破格の美に大きな衝撃をうけた。

昭和47年、パリ市立セルヌスキー美術館長エリセエフの要請で、同館で「出口王仁三郎とその一門の作品展」が催されることになり、盛大な壮行会が亀岡市天恩郷の大本本部でおこなわれたとき、私は王仁三郎芸術について講演をたのまれた。その際私は、この展覧会は芸術のあり方にかかわる本質的な問題をはらんでいるから、必ず成功すると予言した。この予言は的中して、パリ展のあと、多くの美術館からつぎつぎに開催要請があり、フランスではブザンソン、マルセイユ、ニース、カーン、ついでイギリスのロンドン、オランダのロッテルダム、ベルギーのゲント、さらに大西洋をわたってアメリカのニューヨーク、ブロックトン、ショートクワ、サンフランシスコ、カナダのビクトリアまで、3年3ヵ月におよぶ長期の展覧となった。

王仁三郎は「芸術は宗教の母なり」と規定して、独自の宗教・芸術一元論を説き、美によって神を感得する道を提唱する。古くから宗教を芸術の母胎と考える思想は、東洋にも西洋にもあった。そのような考えに支えられて、仏画や神像、寺院や教会などの厖大な宗教芸術がつくられた。ところが王仁三郎は、逆に、芸術こそ宗教の母であるという。その際、彼のいう芸術の概念がたいへん広いことに注意しなければならない。彼はいう。「わたしが、宗教が芸術を生むのではなく、芸術は宗教の母であると喝破したのは、今の人のいう芸術のことではないのである。造化の芸術を指していうたのである。日月を師とする造化の芸術の謂いである」と。これは実にユニークな考えであるが、ではそれはどのような意味なのか。そしてそれが実際の作品においてどのように具体化されているのか。

王仁三郎はその芸術論のなかで、「広大無辺の大宇宙を創造したもう神は大芸術家である。天地創造の原動力、これ即ち芸術の萌芽なり」という。古来、芸術の世界は個性の世界であるとされ、個性のない自然の世界と対立すると考えられてきた。ところが王仁三郎は自然の産出原理と芸術の創造原理との同一性を説く。王仁三郎の作品に「天国」と名づけられた茶碗が多くあるが、これは意味深長である。私たちは天と人のあいだに劃然(かくぜん)とした区別を設けるが、彼の考えでは、天と人とはある意味で融合している。王仁三郎のこのような意見はきわめて独自なものであるが、奇妙にも現代美術の先端にいる作家の発言のなかに、同様の考えが見出(いだ)される。

たとえば、フランスの彫刻家のアルプはつぎのようにいう。「われわれは自然を模倣しようとは思わない。再生産しようとは思わない。ただ生産したのである。われわれは果実をうみだす植物のように生産しようと思う」と。またフランス人画家のアトランは「造形的想像力がつくりだすことができる形式は、神秘的ではじめてつくりだされたものではあるが、それにもかかわらず、一本の樹、一個の卵と同様に現実的であり、また具体的である」という。

アルプやアトランは、卵や樹のような自然物と同等のものをつくりだそうとするのであり、そこでは自然の現実性と作品の現実性とは等価値となる。ちょうど庭石がいささかの抽象化のあともない自然の物体でありながら、ひとつの空間を決定するように、最も具体的なものはすべて偶然的なものであると考える。アルプの彫刻やアトランの絵画が抽象と本能、無機と有機、心理や生理とが無媒介に統一された偶然形態を示し、譬喩(ひゆ)的にいえば、人間の生命の原始形態を象徴するかのごとくであるのは、右のような態度にもとづいていている。

同じく王仁三郎の茶碗もきわめてビオモルフィック(生命形態的)である。それらは素胎に釉薬が塗られたのではなく、あたかも作者の身体から押しだされたかのようである。

王仁三郎は昭和19年12月から21年3月までの1年3ヵ月間に、約3千点もの茶碗を制作した。また、出口虎雄『根源美の探求』にこれらの茶碗の制作過程の描写があるが、とにかく猛烈なスピードで絵付がおこなわれたようである。片々たる知識によってではなく、もっと底の生命の源泉のようなところで、制作がすすめられた感じである。しかしそれは決して衝動にまかせられたのではない。王仁三郎の芸術は天衣無縫、無邪気、無心などとよくいわれるが、無心であのような茶碗はつくれない。たとえば、高台のつくりの細心さにみられるように、厳密に計算されている。また、茶だまりのつくり、高台をめぐる三本線、高台脇の放射状の刻線、表面全体に突きさした竹のささらによる小穴など、きわめて意図的である。したがって、彼の茶碗には習作を思わせる未熟さは全然ない。このように綿密な計算にもとづきながら、そのことを観者に感じとらせないところに達人の境地がある。それについて興味ぶかいのは、獄中で王仁三郎が頭のなかで茶碗をつくったことである。つまり、粘土も釉薬も轆轤(ろくろ)もない獄中において、頭のなかで茶碗づくりの構想はちゃんとできあがっていたから、実際に粘土や釉薬を前にした時には、何の迷いもなく、つくることができたのである。言葉を変えていえば、イメージの世界において茶碗をつくっていたわけである。

このことは彼の絵画にもみられる。例えば『弥仙山風景』や『鉢伏山風景』は、遠景も中景も近景も、同じ濃さの同じ強さと同じ大きさのタッチで描かれている。もとより奥行があるが、その奥行は対象を遠像的遠近法にもとづいて統一されていない。むしろ逆にきわめて近像的である。王仁三郎の性格は、自然にたいする傍観者的な態度を許さず、自己と対象との区別を超えようとしたのである。

このような生命形態的な作品は「雲や山や海のごとき偉大なアトリエのなかに匿名(とくめい)なものとしてとどまるべきである」と、アルプはいう。この発言は重要である。なぜなら、これまでの考えでは、作品に主観が特記されればされるほど、すぐれた芸術になると信じられていたからである。ところがアルプや王仁三郎は、作品にたいして付加する述語ではなく、主語である作品そのものの実存を問題にする。哲学においてと同様に、芸術においても、現代的認識においては存在は本質に先立つのである。

自然の産出原理と並行する芸術の創造原理を説き、卵や樹がそれ自身で自足するように作品も具体的であるとする、右のような芸術観のゆえに、王仁三郎において芸術は宗教の母胎となる。なぜならどの宗教も、自然そのものを偉大な存在とし、人間はその一部であることを前提とするからである。このような前提を失って、自然的世界に対立する人工的世界の構築を企てたところに、現代人の思いあがりがあった。しかしいま、そのような企てが無謀であることが、公害その他で露呈されつつあるとき、王仁三郎芸術は重要な問題を投げかけるのである。

(昭和60年、「出口王仁三郎の世界展図録」読売新聞大阪本社発行に加筆)

「出口王仁三郎」を語る

評論「芸術は宗教の母である」

木村重信=1925年生まれ。京都大文学部卒。京都市立芸大教授、大阪大教授、1992年、国立国際美術館長。兵庫県立近代美術館長後、2002年から2005年まで同県立美術館長、現在は同名誉館長。勲三等旭日中綬章、大阪府文化賞、京都市文化功労者、兵庫県文化賞。

対談「新世紀と王仁魂」

梅棹忠夫=1920年生まれ。京都大理学部卒。大阪市立大助教授、京都大教授をへて、1974年、国立民族学博物館長。1993年、退官後、同博物館の顧問、名誉教授。朝日賞、国際交流基金賞、文化功労者、文化勲章、勲一等瑞宝章。

上田正昭=1927年生まれ。京都大文学部卒。京都大教養部長、京都大埋蔵文化財研究センター長、大阪女子大学学長。現在は姫路文学館長、高麗美術館長、アジア史学会長、社叢学会理事長、世界人権問題研究センター理事長、中国西北大学名誉教授、中国社会科学院古代文明研究センター学術顧問を務める。大阪文化賞、福岡アジア文化賞、南方熊楠賞、京都市文化功労者、京都府文化賞特別功労賞。延喜式内小幡神社宮司。

講演「百面相・王仁三郎」

山折哲雄=1931年生まれ。東北大文学部卒。東北大助教授、国立歴史民俗博物館教授、白鳳女子短期大学学長、京都造形芸術大学大学院長、国際日本文化研究センター所長。2005年5月、任期満了のため退職後、同研究センター名誉教授に。京都新聞大賞文化学術賞、和辻哲郎文化賞、日本放送協会放送文化賞。


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