総合科学技術会議・第16回生命倫理専門調査会(平成14年4月26日)提出資料
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総合科学技術会議(議長・小泉純一郎内閣総理大臣)・第16回生命倫理専門調査会が平成14年4月26日、中央合同庁舎第4号館(東京都千代田区霞が関)特別会議室で開催され、宗教法人「大本」に対するヒアリング(意見聴取)が行われた。同調査会は、国の生命倫理の方針を審議する機関であり、同年2月から各界有識者等からヒト胚(受精卵)研究についてヒアリングを実施。宗教界からは団体として唯一、大本教団が選ばれた。 以下は、そのヒアリングの際の提出資料。内閣府ホームページでも公開された。 |
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「ヒト受精胚の人の生命の萌芽としての取扱いの在り方」について 平成14年(2002)4月26日 I ヒト受精胚について 1、大本の教えにみる生命観 (1)かけがえのない固有の生命 人間は「霊魂」と「肉体」とから成り、その両者とも大宇宙(大自然)の造物主(神)の分霊、分体として賦与されたものであるとされ、大本では「神の子、神の宮」といい、各人の肉体には尊い霊性(神性)をもった固有の霊魂が宿っているとされる。つまり人間一人ひとりは、大宇宙に一人しかいないかけがえのない存在であり、その一人ひとりの肉体もまた同様にかけがえのないものとされている。こうした考え方は、古来日本人が、肉体は神仏からの“預かりもの”としてきた素朴で敬虔な態度と共通するものがあると思われる。 このように、人間を理解するとき霊魂と肉体の二元論的哲学的思考はあるが、大本では、人間は単に二元論でなく、霊魂と肉体は一体であり、造物主の力徳によって霊魂と肉体が結ばれてはじめて生命力が発揮されるという、いわば霊魂・肉体・生命力の三元一体論的な考えを持っている。 (2)永遠の生命観 一人ひとりの生命はこの世の一生だけで終わるのではなく、死後すなわち霊魂が肉体を離脱した後、その肉体は滅んでも、各自の霊魂は消滅せず永遠に生き続けるものとされる。そしてこの世における人生の尊い目的は、ヒトの霊性を磨き人格を高めつつ、平和で穏やかな住みよい社会の実現、公共福祉の発展に奉仕することにあるとされている。 大本はこうした〈永遠の生命観〉に立っているため、目先の幸福や歓楽、過度の欲望に執着することはよしとせず、いかなる境遇にあっても、この世に生を受けてから天寿をまっとうするまでの一生を、感謝と喜びをもって懸命に生きることこそが人としての本来の生き方であるとしている。 (3)人の生命の始まり 一人の人間の生命の始まりは受精に始まり、肉体に霊魂(霊性)が宿っていくプロセスである。肉体的面からいえば、卵子と精子が出会い、受精卵となったときに新たな生命が始まることは生物学的常識であるが、これは霊魂の側からもいえることであり、受精卵には体の成長に応じただけの固有の霊性が宿るとされ、その生命は成人のそれと本質的に変わりなく、尊厳さにおいても同様である。 したがって受精したあとの生命を破壊する行為は、すでに霊魂(霊性)の宿り始めた肉体に人間が意図的に死をもたらすものであり、現実的表現でいえば殺人行為と見なさなければならないことになる。 2、ヒト受精胚の操作等について (1)自然に対する“畏敬の念”の必要性 人間の身体は“宇宙の縮図”“小宇宙”などといわれるように、人間の体内は人知をこえた自然の神秘に満ちみちている。人間の科学には限界があり、すべてを分かったとするのは傲慢で、実際、第一線の科学者の多くが自然の持つ整然とした仕組みに驚き、畏敬の念を持つといわれている。 二一世紀、人間の遺伝子構造が解析され“人類の設計図”を手に入れたといわれているが、これはあくまでも構造が分かっただけのことであり、そのような精緻な構造をつくらしめているものは何かという、偉大な神秘な力に思いをはせる必要がある。このように、大自然の力を畏敬することは、世の多くの宗教にほぼ共通する態度であるとともに、人々の心の内奥にも潜在的に見られる感性であると思われる。 ヒト胚の操作を、自然の仕組みを知悉せず、畏れを知らない人間が行うとき、種としてのヒトの改変の可能性など、一歩誤れば、人類が取り返しのつかない破滅への道を進みかねない危険をはらんでいる。大自然の力を畏れかしこみ、理性と抑制のきいた生命科学の進歩でなければ、人間の欲望に左右されて、生命科学が悪魔のような武器になりかねないことを危惧するものである。核兵器や、地球環境問題などは倫理的抑止力がなければ人類の生存を脅かすことが明らかなように、“内なる自然”(人間の生命)を技術によって操作する生命科学に対しては、より一層強力な倫理的抑止力が働かねばならないのは当然のことであり、目先の国際的営利競争などに判断が歪められるようなことがあっては断じてならない。 (2)生命倫理的問題の究明が急務 ヒト胚がさまざまな基礎医学研究や、医薬品開発用の毒性試験などに利用されることは一種の“人体実験”であり、また“生命ある人体の商品化”につながるものであって、倫理的問題性が高いといわざるをえない。 ヒト胚中の細胞を培養して得られるヒトES細胞の研究利用などは、人間を“部品の集合体”とみ、生命が消滅しないまま再利用されるものである。これはいわばヒト胚の“生命”が形を変えES細胞として、その“生命”がさまざまな実験対象に利用されることである。宗教的にみれば、ヒトの霊性をもつ“生命体”にとって残虐この上もない行為といえ、ここにも大きな倫理的問題が認められる。 したがって、ヒトES細胞樹立などの前提となるヒト胚のもつ生命倫理的問題を究明することが急務である。 (3)生命の“モノ化”“資源化”がもたらす社会的悪影響 またヒト胚、ヒトES細胞などを含む人体の生体組織は“モノ”または“産業資源”なのか、あるいは“生命の一部”として尊重されるべきものなのかはそれぞれの生命観にもかかわり、「生命の尊厳」にかかわる生命倫理上の基本命題である。この命題についての検討が深められないまま、ヒト胚の操作・研究が安易に認められれば、大切な命がモノ同様に扱われ、商品化され、伝統的で健全な、温かく穏やかな生命観が失われて、今日社会に蔓延する〈心の荒廃〉〈生命軽視の風潮〉をいっそう進めることが危惧される。 3、ヒト受精胚の滅失について (1)不殺生は世界的倫理 不妊治療で余ったヒト胚(余剰胚)で“廃棄”が決定されたものは、科学的有用性のためなら破壊することも許されるとの意見があるが、しかしこうした研究は〈生命破壊〉を前提としたものであり、倫理的問題性があまりにも大きい。 余剰胚は本来あってはならないものであるが、たとえ存在したとしても、生命活動のプロセスにあるヒト胚にはすでに人命が宿っており、“不要”になったことを理由に、モノとして廃棄され、他の目的に用いられてよいものではない。余剰胚については、そこに宿っている生命に許しを乞いつつ、わが国の伝統に従い丁重に土に帰し葬られるべきものであろう。 「汝、殺すなかれ」という不殺生の教えは洋の東西、宗教を問わず、世界的倫理であって、この倫理の確立が今求められている。今日わが国では、かけがえのない命を命とも思わないような幼児虐待や殺人事件が頻発しているが、研究者によるこれらヒト胚の滅失(破壊)も“弱者の命を意図的に断つ”という意味で本質的に同様であり、どのような目的があったとしても正当化されるものではない。 (2)不問にできない倫理的是非 人の生死の問題は宗教にとって根本的命題であるとともに、深く文化的・社会的問題でもある。着床前の受精卵(ヒト胚)を「単なる“細胞の集合体”に過ぎない」あるいは「人格がないから人間ではない」とする意見もあるが、不妊治療をうける夫婦にとってそのような冷徹な表現は不適切であろう。 また統計によると、旧科学技術庁が一般国民を対象に行った意識調査(平成12年3月)で、「人の受精から誕生までの中で、いつの時点から人として絶対に侵してはならない存在とするか」との問いに対して「受精の瞬間から」との回答が最も多かったことは注目されねばならない。さらに、大本が独自に行った街頭緊急アンケート(平成13年8月12日〜28日、東京、神奈川、千葉、埼玉、大阪、兵庫の6都府県で調査)によると、3030人中2416人、8割もの一般市民が“受精卵には人としての命が宿っている”と回答している。これはヒト胚の滅失(破壊)が多くの国民の心情にそぐわないことを示唆するものである。 〈人間の尊厳〉とは何か、ヒト胚の破壊がそれに抵触しないのか、国民の意識に反していないのかなどについて国として本格的に検討し、ヒト胚研究が人類社会にとって真に「有用性」のある研究なのか、自然科学の観点からのみでなく、文化的・社会的観点からも究明されるべきである。 いずれにしろ、人間の生命が明らかに始動しているヒト胚を破壊することについての倫理的是非を不問にしたままヒト胚研究を進めた場合、国民の不信感が根強く残り、これは研究者にとっても不幸なことであると思われる。 II ヒト受精胚以外の胚(人クローン胚等)について 1、人為による胚の作製と、操作・滅失等について (1)「特定胚」作製は「人間の尊厳」を侵す研究 人間と人間、人間と動物の受精卵(胚)、細胞をかけあわせて新たな生命体(特定胚)を作る研究は、人類のアイデンティティーを脅かすものである。宗教的立場でいえば、ヒト胚は動植物がもつ生物学的それと異なり、時間を経るにつれ明確に人格性をもつ存在へと成長する。ヒト胚は本来、人格性の“因”をもつものであって、これを人格性をもたない動植物の生物学的生命と同列扱いにして混合し新生命を作ろうとする研究は、人間生命の軽視であり、「人間の尊厳」を著しくそこなう許しがたい行為である。 またいかなる「特定胚」であってもいったん生命活動が開始したかぎりは、すでに固有の生命が宿っており、それを被験の対象として操作・破壊(滅失)する研究は非人道的である。生命を恣意的に作り出した上に、モノ同様に扱うこのような研究が一般に正当化されれば、生命を操作・破壊(滅失)することに対する罪悪感が薄れ、社会的にも生命全般に対する尊厳と慈しみや愛情といった温かい感性が失われて〈生命軽視の風潮〉を進める要因になることは、ヒト受精胚の場合と全く同様である。 (2)「人クローン胚」研究の全面禁止を 「特定胚」の中でも「人クローン胚」について大本は、クローン技術規制法案審議(平成12年11月)の際、特定胚研究指針案意見公募(平成13年7月)の際、また本年4月8日、イタリアの不妊治療医がクローン人間の妊娠に成功したとの報道があった際にも、国に対して「人クローン胚」に関わる研究を全面的に禁止するよう繰り返し要望している。 クローン技術の人間への応用は、断じて行われてはならない。クローン生物の誕生は、高等動物ではありえない無性生殖による生命誕生であり、大自然が気の遠くなるような悠久の時をかけて築きあげてきた“生物進化の法則”や“自然の摂理”に反する重大な過ちであって、クローン人間誕生となれば人類史に汚点を残す“科学の暴走”以外のなにものでもない。20世紀、国益や人間の欲望にもとづく科学技術の応用が、核兵器の誕生や、“自然の摂理”を侮り地球環境破壊を引き起こしたのと同様、クローン人間の誕生は人類そのものの生存さえ脅かす決定的な端緒となるものである。 クローン人間禁止は世界の趨勢であり、わが国もクローン技術規制法によって、クローン人間誕生を法律で禁止するという措置がとられたものの、その命を宿した「人クローン胚」については科学的有用性を理由に、研究の余地を将来に残している。ES細胞と組み合わせれば拒絶反応のない移植医療等に応用できるとされるが、この場合も人の生命を宿す胚を破壊せねばならないことに変わりはない。さらに深刻なことは「人クローン胚」研究を認めるかぎり、クローン人間誕生の危険は将来にわたって常につきまとい、人類の不安が払拭されることはない。 クローン人間誕生が現実味を帯びるなか、わが国はクローン技術規制法を制定し、いち早くクローン人間誕生を法律で禁じた国として、将来にわたってもその研究の道が開かれないよう「人クローン胚研究の全面禁止」を明確にし、世界に率先して「生命の尊厳」を訴え、人類の存続について21世紀の世界をリードする発信源となることを期待してやまないものである。 以 上 |