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大本の近年の主張〜声明、見解、要望書

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平成3年12月3日

脳死を「人の死」とすることに反対する声明

大 本 本 部

「臨時脳死及び臓器移植調査会」(脳死臨調)は平成3年6月14日、中間意見を発表した。それは少数意見を添えたものであったが、脳死を「人の死」とみたものであり、平成4年1月には、この見解にもとづき最終答申が出されようとしている。

脳死問題は、今日では世論を二分する大きな問題になっているが、脳死を「人の死」と容認する人は50%を割り、とても社会的合意に達したとはいえない。脳死臨調は最終答申にさいし、とくに慎重であってほしいと念願するものである。

大本教団では、教祖出口王仁三郎聖師の教示にもとづき、早くから脳死は「人の死」でないと表明してきた。人間は元来、霊魂と肉体とからなる有機的統一体であり、その主体性は霊魂に存在し、肉体は霊魂の容器であり、死は心臓の鼓動がまったく停止し、霊魂が肉体から完全離脱した時を言うのであって、心拍のある脳死状態は、個体死でなく脳の部分死にすぎないとしているからである。

万有は、創造神の被創造物であって、すべての生命は究極の一元に帰するものである。こうした生命観は、健全な人間生活の基盤となり万有愛を育てるものであって、今後築かれるであろう精神文明にとって不可欠な要素となるものである。

脳死を「人の死」とし、人間を部品の集合体とみるならば、人心はますます物質中心の考えに偏り、科学万能の荒涼とした死生観、人生観、世界観に変わり、人類の精神は由々しい状態にいたることを憂えざるをえない。移植以外に救われない患者がいることも事実であるが、さらに大きいこうした人類の心の病の深まりをどうするかの問いもまた重大である。このことは今日、人類の環境保護、生活の様式、文明のあり方に深刻な見直しが求められていることにも通ずるのである。

なかには、先進諸国が脳死を「人の死」と認知している事例をあげ、わが国のおくれを指摘する声もあるが、先進国とは物質文明のそれであり、今日ではそれぞれの国で深刻な問題が湧起している事実は何を物語るものであろうか。もしそこに誤りがあるとするならば、わが国から率先してただすことにやぶさかであってはならない。

私たちは、人間の肉体は神から与えられた固有のものであり、個体死でない脳死を前提とした臓器移植はあってはならないとするものである。とはいえ、現実に移植を必要とする患者に、この道のすべてを閉ざしてよいとするものではない。現状では人の死に関わらない限り、移植は止むを得ないと考える。それゆえに人工臓器の開発が一日も早く達成されることを願うのである。

私たちは、教えの立場から上記の通り、脳死を「人の死」とすることに反対するものであるが、それは人の肉体と霊魂の関わりを重視するからである。出口王仁三郎教祖は、霊魂が肉体から脱離するにさいし、ほとんど脱離した霊魂が霊線によって肉体との絆を最後まで残存させるのは脳でなく心臓であることを霊視している。一般ではまだ霊魂の存在に疑いを抱く人も多いが、今日では科学もその存在を否定していない。近年、学問的研究の対象となり内外の話題を集めている「臨死体験」などに徴しても、霊魂の存続を認める状況証拠は十分にある。将来、霊魂の存在と働き、霊魂と肉体との関係が明らかになるにつれ、脳死が「人の死」でないことが明らかになるであろう。

生命の問題は科学の次元を超える奥深いものであり、死の問題も医学の問題だけでなく人間存在の全分野にわたる大きな問題である。

脳死臨調は、最終答申にあたって慎重を期されることを、重ねて要望するものである。

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