内閣総理大臣
衆参両院議長 殿
衆参両院議員
宗教法人「大本」
「脳死を人の死」とする臓器移植法案が、4月24日、衆議院本会議を通過し、参議院に送られることになった。しかし、脳死を「人の死」とする国民的合意が得られたとは認め難く、多くの重要問題を積み残したまま法制化されようとしているが、臓器移植を前提とした「死の定義」を法律で特定することに疑義をいだかざるを得ない。「生死の判定」という極めて重大な問題であるだけに、同法案には慎重な審議を求めるものである。
大本教団では、教祖出口王仁三郎の、宇宙の真相、人生の本義等の教義にもとづき、早くから脳死は「人の死」でないと表明してきた。人間は元来、霊魂と肉体からなる有機的統一体(霊肉一如)であり、その主体性は霊魂に存在し肉体は霊魂の容器(霊主体従)であり、死は心臓の鼓動がまったく停止し、霊魂が肉体から完全離脱したときをいうのであって、心拍のある脳死状態は、個体死ではなく脳の機能死にすぎないとしているからである。したがって「脳死状態にある生体」から心臓その他の臓器を摘出し、死に至らしむるは、殺人行為の合法化といわざるを得ず、絶対に容認することはできない。
前記のように霊魂と肉体は密接不離の関係にあり、生命の有機的統一機能が脳にあるとの見解や、単に肉体を部品の集合体とみなす人間機械論は、科学万能、物質中心主義の考えに基づくものであり、神の慈愛のもと、永遠に生き続ける「霊魂」と、死後の世界(霊界)の存在を無視したものである。
霊魂はもとより、臓器を含めた肉体も、神から賦与された人間固有のものであり、原則として他人への提供は許されない。個体死でない脳死を前提とした臓器移植は、本来あってはならないものとするものである。
今日では、霊魂の存在を信じる人も多く、科学もその存在を否定していない。近年、学問的研究の対象となり内外の話題を集めている「臨死体験」などに徴しても霊魂の存続を認める状況証拠は十分にあると言える。
出口王仁三郎は、霊魂が肉体から離脱するに際し、ほとんど離脱した霊魂が霊線によって肉体との絆を最後まで残存させるのは、脳でなく心臓であることを霊視しており、「肺臓、心臓の活動がまったく止む時こそ、霊と肉とがたちまち分離する時である。肺臓の呼吸と心臓の鼓動とは、人間の本体たる精霊そのものを繋ぐところの命脈であって、この二つの官能を破壊するときは、精霊はたちまち己に帰り、独立し復活し得るのである。」としている。
しかし現実として移植を待っている人たちがいることも事実であり、すべての移植の道を閉ざすものではない。現段階においては、提供者の死につながらない範囲においては移植もやむを得ないものとする。
だが、拒絶反応、手術そのものの危険性、実際に移植を受けた患者の術後の苦しみ、また臓器を「商品」として売買するブローカーの存在など、臓器移植にまつわる多くの負の部分からも目をそらすことはできない。それゆえ人工臓器の開発が一刻も早く達成されることを願って止まない。
脳死判定による臓器移植を進めるというこの度の法案は、救命医療の早期打ち切りと臓器の性急な摘出という憂うべき事態をもたらす恐れがある。かかる間(はざま)にあっての判断は、高度な医学的判断が必要であるのみならず、すぐれて宗教的、社会的、人道的な倫理判断が強く要請される。
移植を行うことを最終目的とし、移植を求める患者側、移植を行う医学界側の論理主導によって進められている当法案に、私たちは反対の立場を表明するとともに、国会での審議にあたっては、人間の生死の問題を根本から審議し直し、慎重を期されることを重ねて強く要望するものである。