宗教法人 大 本
代表役員 植 村 彰
要望書
<「脳死」をめぐる法令解釈をしていた法務・検察当局は29日までに「立法の経緯、法の趣旨などから、臓器移植に限らず『脳死は人の死』とするのが妥当」との見解で、ほぼ一致した模様だ>
上記の新聞報道(京都新聞:平成9年12月30日朝刊)に触れ、私どもは、大きな危惧をいだいています。大本では、早くより「脳死は人の死ではない」と表明し、臓器移植法案審議に際しても、慎重審議を求める要望書を政府に提出してきました。
しかし残念ながら国会における十分な審議も行われず、国民的合意も得られないまま、同法案は衆参両院を通過し昨年6月に議員立法として成立しました。
「脳死」については、脳死状態の妊婦が出産した事例さえあるほど、いまだに国民の約6割は「死とは思えない」「分からない」としているのが実情で、臓器移植法への抵抗感も根強く残っています。また科学者、医師、法律家、宗教家をはじめ多くの識者が、それぞれの立場から「脳死」に対して強い疑問をもっているのが現状です。
このような中で、法律を実際に運用する立場にある「法務・検察」当局が、「脳死は人の死」との見解に立って法運用をはかることは、極めて遺憾であります。
臓器移植法では、生前、臓器提供の意思があった場合に限り「脳死を人の死」と定めているにもかかわらず、実際の法運用にあたり「脳死を一律に人の死」をすることは、極めて整合性を欠く無理な見解と言わねばなりません。結果として当局自らが法を犯すことにつながるのではないでしょうか。
仮に、そのような見解が出された場合、生命を軽視し、生死を物質的にしか見ない風潮を一層育て、宗教的情操を著しく欠いた精神の荒廃をもたらす結果になることを強く恐れます。また医療現場では医師の判断により安易に「延命措置」が打ち切られたり、患者の家族に納得できる治療が行われなくなるなどの憂うべき事態をも招きかねません。
臓器移植法の成立過程で、中山案が成立しなかった経緯・背景も今一度十分考慮に入れて、法運用をはかっていただきたく、ここに強く要望する物です。