石を割る石工の槌の音つよく 胸にこたゆるタベの城あと
出口王仁三郎教祖が、次々に壊されていく亀山城を惜しんだ青年時代を懐古して、詠んだ歌である。
明治5年(1872)、太政官布告による城郭存廃調査の結果、亀山城は廃城に決定。以後、多くの遺構は売り払われ、石垣も、現・山陰本線の線路敷設に使われるなど、荒廃の一途をたどっていった。大正8年(1919)に王仁三郎が城跡を購入したときには、瓦礫や廃材の間から雑木・雑草が生い茂り、城跡の影さえみることもできない惨状となっていた。
購入の翌年、王仁三郎は荒地の整備を始め、多くの信徒が献労に汗を流した。王仁三郎の指示で瓦礫を取り除いていくと、三段ほどの石垣の基礎が現れた。これをもとに、散乱した石を掘り起こして積み上げていき、石垣が完成。
吾がのぞみやうやくたちて亀山の 城址は高くよみがへりけり
青年時代の深い思いが現実のものとなったが、昭和10年(1935)の第二次大本事件で、石垣は崩され、もとの荒れ地になった。事件後、信徒の献労によって、再び石が一つずつ組まれ、現在の石垣が完成した。