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ビルロバーツ氏は、2001年、2002年の秋、大本でボランテイアとして仕事をしてきていますが、2002年11月18日、その地の実業家であり、大本の信者である三好悦郎氏に招かれ、白鳥ロータリークラブで講演を行いました。 |
今日は私をお招き下さいました白鳥ロータリークラブの方々にお礼申し上げます。前回私がロータリークラブで話したのは、35年前のことです。皆様にもすぐ分かって頂けると思いますが、このことは私が今日お話することと関係があります。今回、日本へは、5度目であり、四国へは2度目の旅です。2001年の春、祖谷渓谷で4日過ごしました。今回は四国へ5日滞在です。春と秋とどちらが美しいか決められないくらいです。
四国を初めて旅行した時は、カリフォルニアの芸術家のグループと一緒でした。私達は築350年の家の泊まりました。それは、アレックスカー氏の所有で、彼により、修復されています。おそらく皆様はアレックスカー氏について聞いたことがあると思います。彼は、「失われた日本」という本を日本語で書いたアメリカ人ですが、その本は数年前出版されました。のちに、英語でも出版されました。その本の中で、カー氏は、大本での彼の経験について書いています。大本は宗教間の理解を押し進めている神道です。私の5度の日本への訪問はすべて大本のゲストとして、亀岡の本部に滞在しています。
今回は5週間の滞在で、大本が京都で主催した宗教者会議の記事を書いたり、編集したりしています。去年は大本で3ヶ月滞在して、いくつかの英文の記事を書きました。私はフリーのジャーナリストで、カリフォルニアのシリコンバレーでいくつかの雑誌に技術工学やビジネスについて書いています。私は詩や小説も書きますが、ジャーナリズムで生計を立てています。2日前、私は徳島で伝統的な歌祭を観賞しました。大本のホームページでその記事を英文で書く予定にしています。
私が大本の仕事をするために日本へ喜んで来たのはいくつかの理由があります。まず第一に、理由は後で述べますが、皆様の国で、ある恋愛事件があったからです。第二として、物書(ライター)はその資質を生計を立てるためだけでなく他人のためにも役立てるべきだと思うからです。第三として、これを私は一番伝えたいのですが、私は大本でボランテイアとしての仕事を引き受けたからです。なぜなら、世界がより複雑になってくる時、何にもまして、大切なのは異文化の経験だと思うからです。
私が個人的に経験したいくつかの話を皆様と共に分かち合いたいと思います。1998年私はコーリンキーベルト女史から陶芸を学び始めました。彼女はカリフォルニアに住む芸術家であり、教師です。コーリンは何度も日本へ来た事があり、大本が毎年夏、開催していた日本伝統芸術セミナーに参加したことがあります。
日本はそれまで私が行きたいと熱望するところでは決してありませんでした。でも、コーリンが大本で3週間日本の伝統芸術を学ぶツアーを計画した時、私はそれに参加し、そのツアーが終わる頃には、すっかり、日本の、特に、景色、文化、伝統芸術のとりこになっていました。
コリーンと共に、2000年の春、2001年の春、再び日本を訪れました。その後、大本の要請でこれらの仕事をするために、今度は一人で参りました。初めて日本へ来た時、私はいかに自分は日本が好きなのか、いかに自分は日本をもっと知りたがっているかに驚きました。でも、振り返ってみれば、ぜんぜん驚くことではなかったのです。
私の両親は第2次世界大戦後、日本で出会いました。父は職業軍人で、母は軍隊の民間秘書でした。両親は1947年東京で結婚しました。私は1949年日本で母親の体内に宿りました。約3ヶ月後、両親はアメリカへ戻り、私はそこで生まれました。ですから、私の日本への最初の旅は、私が宿ってから、ちょうど50年になるわけです。このことで私は、日本を特別な場所と思っています。でも、日本を訪れて初めて、それを理解し、感じることが出来ました。
第2の理由として、もし、神から与えられている才能があるならば、それを生計を立てるためだけでなく、なにかもっと良い事にも使いたいとという私の考えで日本へ来ました。私はライターとしてやっていけることに対して、毎朝、神に感謝しています。私は、何の技術もなくて、何をやっても満足しない多くの人を知っています。私はこんなに自分に合う技術を見つけることができて、とても恵まれています。私は自分の書いたり、編集したりする技術が、大本の役に立ってとても嬉しく思っています。この小さな方法で神が私に与えてくれたものを社会に還元出来ればと思っています。
第3の理由として、私がこの大本でのボランテイアとしての仕事を快く引き受けたのは、異文化を経験することが重要だと信じているからです。とりわけ、世界が小さくなり、より相互依存しながら、しかももっと複雑になっている世界において。
私の52年を振り返った時、異文化の経験は私の人生の大きなテーマであります。このことをもう少しお話します。
私の両親はいつも、地方の人々や、その文化、習慣に関心がありました。フランスとドイツにいた時、隣人ととても仲良くなりました。一つのフランスの家族とは3世代にわたって、今でも、手紙を書いたりメールを交換しています。フランスに2年間いた時、私は軍基地の小学校3年生、4年生でした。でも、一日のうち半分は英語とフランス語両方を話して過ごしました。どのようにしていたか、お話します。フランスの小学校から一人の教師と15人の生徒が毎日午後2時間私達の学校にやって来ます。一人のアメリカ人教師と、私を含む15人の生徒がフランス人の生徒と一緒に、地理、歴史、言語や他の科目を勉強しました。半分の時間は英語をしゃべり、あとの半分はフランス語をしゃべりました。これが、決まりでした。これは相手の言語を学ぶ良い方法であるだけでなく、非常に影響を受けやすい年齢の子にとって違う文化を学ぶ効果的な方法でした。
ヨーロッパにいた時、私はアメリカやヨーロッパの子供達がスイスに集まって行われた3週間のサマーキャンプに参加しました。
約10年後、私が17才の時、別の異文化の体験をしました。これは私の青年時代の大冒険の一つです。私はずっとスカウトの活動を熱心にしていて、1967年アメリカで開催された世界スカウトジャンボリーのカリフォルニア地区の代表に選ばれました。世界中から12、000人のスカウトが集まり、森と山にかこまれたアイダホの美しい湖畔で2週間キャンプしました。私はホストスカウトと呼ばれるグループの役割をしていました。私達は到着するスカウトを出迎えたり、案内役をしたり、時にはフランス語を使って通訳もしました。
私は日記をつけていたので、今でもジャンボリーの閉会の最後の夜に書いた言葉を覚えています。これが私の書いた言葉で、ちょうどベトナム戦争の最中だったことを覚えていて下さい。「私達がこの2週間の間に感じた友情を世界の人が経験しさえすれば、どんな戦争もその必要性がなくなるでしょう。」カリフォルニアに戻って、私はいろいろな市民団体の場でジャンボリーで経験した事を話すよう頼まれました。ですから、私がカリフォルニアモンテレーのロータリークラブでスピーチをしたのが35年前になるわけです。
高校時代、私はアメリカンフィールドサービスと呼ばれる活動を熱心にしていました。それは海外からの留学生を受け入れたり、アメリカ人を海外へ派遣したりする団体でした。私はおもにその資金活動に従事していて、自分自身海外へ行くことはありませんでした。
私が留学する機会は1971年大学生の時、やってきました。1年間、カリフォルニア大学留学プログラムの参加者として、イスラエル、エルサレムのヘブライ大学でイスラエル政府と中東の政治を学びました。私はユダヤ人ではないので、イスラエルでの1年は2つの本当に異なる経験をしました。1つはユダヤ教のついて学ぶことであり、もう1つはイスラエルの社会について学ぶことでした。イスラエルに滞在中、印象に残った中での2つは、週1回、イスラエルの少年に英語の家庭教師をしたことと、キブツで1ヶ月働いたことです。キブツはイスラエル人が働いているだけでなく、12ほどの国から私のようなボランテイアとして働く人が30人ほどいたので、おもしろかったです。
私はジャーナリストとして最初の13年間は、新聞の編集者の仕事をする一方、自分自身の異文化の旅は続きました。フランス、パリの国際ヘラルドトリビューンで仕事をし、その後ロンドンでは、ヨーロッパ、中東、アフリカの地域の財政ニュースを担当しました。私の新聞社での経歴は、当時アメリカの8つの大きな新聞社に数えられていたデトロイトフリープレス社で対外編集者としての3年間があります。外国人編集者として、ドイツ、ポーランド、ハンガリー、南アフリカ、ジンバブエでいくつかの研修にも参加しました。
そして、ここ4年は大本と深く係わってきています。そのおかげで、私は今、日本について学んだり、大本の宗際活動になんらかのお手伝いをすることができます。
確かに、私は放浪の人生を歩んできました。しかし、それはまた、他の文化を学んで世界の一市民として成長し続けるためのものであり、そう願っています。私はアメリカ人ですが、この地球に50億人以上いる中の一人の人間です。
私は人間が国籍、民族、宗教の違いから起る問題に直面する前に、私達の類似点である人間性をまず認識し、強調し、讃えることが大切であると信じています。世界の紛争の多くは私達の類似点よりもむしろ相違点にとらわれて引き起こされています。
これは私の意見ですが、人間の平和と理解は法律にすることはできないと思います。国家とその指導者は条約に署名することだけは出来ます。会社は契約に署名することだけは出来ます。世界を、もっと安全に、もっと人にやさしい理解のある場所にするためには、個人対個人で希望、恐れ、人生を共に分かち合う私達のような人間が必要です。
最後にもう一度私は異文化の経験が大切であるとのべ、皆様もその体験をされるようお勧めします。たとえば、次のようなものがあります。ー日本にいて海外の人を受け入れるか、あるいは、自分で海外へ行って異文化に触れる機会を持つ。ー異文化の活動に熱心な学校、スカウト、宗教団体あるいは他のグループに協力する。アメリカのロータリークラブは若い専門家を海外で研修させる奨学生計画があると思います。日本のロータリークラブはそういったことを行っているかどうか知りませんが。
そしてもちろん、いくつになっても、旅行して、世界を見て、他の人間や他の文化を知ることです。外国語も勉強して下さい。以上が皆様にお伝えしたい私の思いです。御静聴有難うございました。