おほもと Oomoto
教主さまとの出会い

ビル・ロバーツ(日本語訳=矢野温江)

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私は2002年、大本を訪れた時、大本の出口紅教主様とお会いし、お人柄に触れるいくつかの機会がありました。

私は教主様が祝詞の先達をする美しい声を聞きました。教主様が信者の方から敬愛を受けているのを見ました。そして私は、2つの祈りの集会に教主様が自信を持って出席されたと感じています。私は2度お茶室で、教主様の優雅な作法でお茶を頂きました。私は教主様と踊った時の愉快な側面も見ました。この踊りについては後をお楽しみに。

光り輝く宝石のように、教主様には多くの洗練された側面があります。5代教主として、18ヶ月ほどですが、大本を新しい世紀に導くエネルギー、芸術性、人間性を備えているように思われます。教主様は現在46才ですが、2001年4月29日出口聖子4代教主が亡くなられた後、教主になりました。出口聖子前教主の姪で、広瀬紅として生まれました。教主継承者として養女の措置が取られ、広瀬紅から出口紅になりました。

大本の教義では、教主は出口なお開祖の血筋をひいた女性でなければなりません。出口聖子4代教主は、66才で亡くなる1週間前に、開祖のひ孫である紅様を継承者として公表しました。薬剤師であり、茶道の先生であった紅様は一晩にして大本の使命を担ったと思われます。

教主様は非常にご多忙な毎日なので、私が10月大本を訪れた時、その2日後にご面会と知って、驚くほど嬉しかったのを覚えています。

亀岡の大本本部にある泰安居と呼ばれるお茶室でご面会しました。私は寒くて、まだ時差ボケでしたが、通訳とカメラマンと一緒に泰安居へ向かいました。木々の葉は紅葉の始まりで小雨にきらきら輝いていました。教主様は茶室でお迎えくださいました。

私は正式な深いおじぎをしました。私は教主様の隣にすわり、通訳付きで話し始めました。点前が始まり、お茶菓子が運ばれてきました。私は急に暖かく、心地よくなりました。でも、時差はまだ直っていませんでした。

最初に教主様は私が平和の祈りと集会のスピーチの英訳をしたことに感謝を述べられました。私は自分のことや1999年初めて大本に来るきっかけになった自分と陶芸との係わりについて述べました。教主様は何でもご存じのようでした。教主様は私が2001年春に大本で話したスピーチのビデオをご覧になっていたのです。

私は教主様に私が大本についての本を書くことを申し上げました。フレデリックフランク博士が英語で大本を紹介して、西洋の芸術家達の関心を集めた「大本との出会い」を書いてからすでに30年経っているので、それはとても良い事だと教主様は言われました。

教主様はこのお茶室について話されました。泰安居にあるお茶室の一つで「洗月亭」と呼ばれ、満月の夜に障子を開けると茶室のそばを流れるせせらぎに月影が映ります。教主様は障子を開けて見せて下さいました。雲の間から朝の光がさし始めていました。

次のご面会のため、教主様は30分くらいで退席されることになりました。私はすわったままでしたが、教主様は能を舞うような優雅さで立ち上がり茶室をあとにされました。私はお茶のあと、コーヒーを頂きました。庭を通って戻りましたが、そんなに近いとは知りませんでした。

2日後、教主様は京都で第2回世界宗教者の祈りとフォーラムを開催され、暴力に立ち向かう大切さを歓迎のスピーチの中で述べられました。翌日、第4回人類愛善会アジア代表者会議が開かれました。次の日は綾部で大本の秋季大祭が行われ、教主様は中央の拝殿におられました。私は去年、教主様の教主として初めての秋季大祭にお参りしましたが、今年の教主様の声は殿内に響いてとても力強く感じました。謡の素養のある教主様の声はオペラのように豊かで完全でした。

大祭の翌日、ロンクロニッシュ夫妻のお伴で再びお茶室に招待されました。クロニッシュ夫妻はこのフォーラムに出席のため、イスラエルから来ていました。泰安居ではまた目のくらむような一時でした。お茶室に入席した時、教主様はそこにおられませんでした。教主様が茶道具を手に持って入られた時、私は教主様自ら、私達のためにお点前をして下さることに気付きました。

私は茶道を少ししか知りませんが、教主様が卓越した茶道家であるということは十分に分かりました。大本信徒にとって茶道は精神修養のひとつであり、教主様は以前から人気のある優れた茶道の先生であったと思われます。教主になってからは、茶道を教えることはできなくなりました。

茶碗をすすぎ、お抹茶をすくい、お湯を注ぎ、お茶を点てる動作は、まるで柔らかな秋の風にそよぐ葉のように優美でした。教主様はクロニッシュ夫妻と私にお茶を点てて下さいました。それから教主様はクロニッシュ師の隣に座り、話を始められました。教主様のお点前によるお茶を頂いたことは、私にとってその朝の大きな出来事でした。

1週間後、私は伝統的な歌祭りと四国にある大本の瑞雲郷別院(徳島)の50周年大祭に参列しました。土曜日の夜、教主様は、教主様も選者となった歌祭りをご覧になり、日曜日の大祭の後、大本信徒の能楽の仕舞を熱心にご覧になりました。

私は直会のとき、短いあいさつをさせて頂きました。教主様は私のあいさつが通訳される前にもう英語を理解されていたのではないかと思いました。徳島での行事の終わりは全く宗教とは関係のない賑やかなものでした。「阿波踊り」のプロの踊り手が伝統的な衣装をつけて踊ってくれました。体をねじったり、旋回させたりする動きは私の若い頃のロックンロールにとてもよく似ています。プロの人が踊りながら一巡した頃、大本の人達も踊りの輪に加わりました。

さらに多くの人達が加わった踊りは最高潮に達し、私はシャッターを切り続けていました。洋服に着替えられていた教主様は手を振ったり、手をたたいたりして、踊りの輪に入られました。私が写真を撮っていた時、教主様と目が合いました。日本語で何か「一緒に踊りましょう」と言われました。そして、私を踊りの輪に連れていかれ、わたしも踊っているか、振り返って見ておられました。私はローリングストーンのコンサートに行って以来、こんなに踊ったことはありませんでした。

踊りは終わり、教主様のお帰りの時が来ました。大本信徒は何度もお辞儀をし、教主様もまたお辞儀されました。信徒は週末の教主様のご臨席に感激し、また阿波踊りに脱帽しました。

私は教主様は古いインドの諺をご存知ではないかと思っています ― 神は私が祈ると敬ってくれるが、私が歌い踊ると愛を与えてくれます。


泰安居の茶室の一つ「洗月亭」

教主さまにご面会いただく筆者

教主のお点前

ロンクロニッシュご夫妻とご歓談になる

舞囃子をご覧になる教主さま

屋外に作られた能舞台での仕舞

阿波踊りのプロの踊り手

教主さまも踊りの輪に加わられた
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