今日は、ビル、ロバーツです。よろしく。
このような機会を与えてくださり、感謝もうしあげます。私は何度か来日していますが、鳥取へは初めて寄せて頂きました。とても美しいところです。特に、鳥取砂丘、岩井温泉、吉岡温泉への訪問を楽しんでいます。
最初に本日の祭典について一言申し上げたいと思います。私は今までに、亀岡、綾部、初め、地方の神の家での月次祭に何度も参拝しておりますが、本日の月次祭はいくつかの理由で特別なものでした。祭官を務められた方々のなかに、青年の方と、女性が混ざっておられました。本日ののりとの声は特に美しい調和をかもし出していました。
こちらへの訪問は、私の日本滞在の目的を考えてみても、世界の情勢を特に私自身の国(米国)が置かれている現状から考えてみてもタイムリーな時期であると思います。
私は1年間大本に滞在して、大本に関する本を英文で書きます。この、プロジェクトについてもう少しお話いたします。まず、大本について書かれるいかなる本も出口王仁三郎氏について触れなければなりません。本の中心となる人物です。そして、吉岡発言を語る事なく王仁三郎師について述べる事はできません。また鳥取を訪問する事なく王仁三郎師について書く事はできません。
王仁三郎師は正確に59年前のこの月に吉岡発言を行なっています。第2次世界大戦が日本にとって悲惨な結果をもたらし、王仁三郎師は第二次大本事件の無罪が決まった時でした。戦争や投獄の後、王仁三郎師が公式に最後に行なった発言となるのです。
吉岡発言の中で、王仁三郎師は日本の廃虚を何度も警告した事を思い起こさせ、日本は今完全に軍備が解除された。しかし、この状況は日本が世界平和の先駆者として尊い使命を持っている事を示されています。本当の世界平和は世界全体が軍備解除された時にのみやって来ると。
世界平和、武装解除そして、戦争の愚行は王仁三郎師の生涯をかけた精神的使命における、永遠のテーマでした。このテーマは60年前と同様今日の世界においても同様に的をえたものです。この事は今回の鳥取訪問が時期を得たタイムリーなものであるもう1つの理由です。実際私の母国はますます好戦的になり、世界平和の脅威になっています。
私は、現代の米国が王仁三郎師の時代の日本と困った程に類似性をもっていると思います。たとえば、吉岡発言では王仁三郎師は神道が政治目的の為悪用されてきたとはなされています。米国では、現大統領を含め政治家の中にはキリストの信仰をどん欲に駆り立てられた国内政策、また、恐怖と復讐に駆り立てられた海外政策を正当化するために利用しているものもいるのです。
私達はすでに、この政策による悲惨な結果を見ているわけです。ますます広がる貧富の差。縮小される中流階級、環境問題の悪化、とりわけイラクにおける死者と破壊の増大があります。
当時の日本と現代の米国にみられるもう1つの類似性があります。実際王仁三郎師をはじめ、多くの日本人は帝国主義政策には反対でした。同様に多くの米国人も現在の政策には反対なのです。先の大統領選挙ではほぼ、半数の投票者が、私を含めて現代の政策に不賛成を表明する為に別の候補者に投票しました。
米国がかつての帝国主義日本のように、その高慢さと敵対心に対していずれ高い代償を支払わなければならない日が来る事を恐れるのです。それがどのような形で、何時になるのかは解りません。王仁三郎師と違って私は予言者ではありませんので。
政治の話を持ち出した事に気を悪くしないでください。私の意図するのは、王仁三郎師の吉岡発言と今日の世界がいかに関連があるかを示したかったのです。
吉岡での発言、また生涯をかけて王仁三郎師が伝えたかった大きなメッセージは平和、愛、そして希望のメッセージです。彼の献身は芸術と宗際活動に向かいました。平和、愛、希望を実現する為に。戦争と芸術を同時に行なう事はできません。
次に私が書こうとしている本についてお話します。
30年前、作家、芸術家であり、内科医でもあるフレデリック、フランク博士が『大本との出会い』を書きました。この素晴らしい、ほっそりとした本が大本について英語で書かれた最後の本でした。この本は今でも印刷されています。ただ、この30年間には沢山の事がありました。教主様を初め、大本の中にも新たな視点が必要であると考えられる人もおられました。
そこで、大本教団から日本人以外の読者に対してとりわけ様々な理由で大本に魅力を感じる芸術家、宗際運動家に英語で説明出来る本の執筆を依頼されました。
西洋の多くの芸術家は芸術を精神的向上の手段として用いる教派神道について初めて聞くと大いに関心を持つのです。また芸術作品の完成よりもむしろ、芸術活動の実践そのものに価値を見い出す多才な出口王仁三郎についてもっと深く学びたいと考えるのです。
王仁三郎師はまた、『芸術は専門家の独占物ではなく、普通の人々が自分自身を省み、神様に近づく手段である』と述べられています。この言葉に西洋の芸術家はますます魅力を感じるのです。
大本の教えに魅力を感じるもう一方の人々は、神はひと柱であり、すべての宗教は元は1つであるという万教同根の教えに惹かれるのです。この教えの意味するところは宗教的寛容の必要性です。他の宗教に対する寛容は現代きわめて不足しております。多くの宗教のなで宗際運動の必要性を考える人々はこの分野での大本の活動にとりわけ関心を持つのです。
大部分の外国人は芸術、または宗際活動を通じて大本と出会うのであり、この人たちこそ私が書こうとしている本の第一の読者であるのです。
私個人は芸術によって大本と出会いました。とりわけ王仁三郎師の茶碗が始まりです。私はカリフォルニア、シリコンバレーでフリーのジャーナリストとして生計をたてています。様々な雑誌にテクノロジーやビジネスの記事を書いています。1998年、芸術家であり教師でもあるカルフォルニア在住のコーリンさんのもとで趣味として陶芸を始めました。コーリンさんは1985年の大本夏季セミナーの苑生でした。
ある日、コーリンさんは自分の生徒を日本の芸術を学ぶ為大本へグループで案内するという計画を発表されました。1999年の春でした。コーリン先生は私達にお茶碗の写真を1枚示されました。私は王仁三郎師の耀わんのとりことなりました。私はその大本への旅行に参加する決心をしたのでした。日本滞在が終わるまで私は日本に魅了されたのでした。特にその風景、文化、芸術。大本の方々の親切や心配りにも感動しました。
最初の日本訪問の後いかに自分が日本を好きになったかを自分自身驚いています。振り返って考えてみれば、それは驚くことはないのでした。実は私の両親は第2次世界大戦後日本で出会いました。父は陸軍将校であり、母は陸軍に勤める民間の秘書でした。両親は1947年(昭和22年)東京で結婚しました。
私は1949年4月日本で母の体内に宿りました。それは、両親が日本を離れる3ヶ月前でした。そういうわけで、私の最初の日本訪問は私が母の体内にやどってちょうど50年でした。その事を考えれば日本は私にとって特別な国なのです。この事は初めて日本にやってきて理解したことでした。
2000年、2001年のそれぞれ春にも私はコーリン先生と日本へもどって来ました。大本に対する私の大きな関心と私の文章能力という条件が折り合い、大本国際部からいくつかのプロジェクトに関わる依頼がありました。
2001年の後半3ヶ月間、ボランティアとして来日しました。2002年第2回祈りのフォーラム取材の為数週間滞在。2003年はイスラエル、パレスチナの綾部プロジェクトのため来日。私の取材した行事、イベントは英文の大本ホームページで私が撮った写真と共に発表しています。
今回、2004年10月に来日、1年間の滞在で本を書き上げる予定です。以前にも少し材料を集めていましたが、今回実際より多くの大本の方々にインタビューをおこないます。鳥取では、田賀紀之本苑長、田中正輝さん、筧くにまろさん、にインタビューしました。また、青年部、直心会との会合も有意義なものでした。
大本は世界の芸術家、宗教者、平和を求める人たちに重要なメッセージを提供していると私は信じております。大本は吉岡発言で王仁三郎師が述べられた平和への先駆者のリーダーであることを疑いません。
私の陶芸の先生であるコーリン、キーベルト女史は最近の大本訪問の後次のように話しています。『今回の大本訪問について聞かれると、次のように答えます。平和について心配はいりません。大本や日本の人々によって、大きな、集約された努力がなされています。平和への道は戦争ではなく芸術の道です。戦いではないのです。
大本は暗がりでの指標であると信じています。この困難な時代に絶望する世界のあらゆる人々が耳を傾ける必要がるメッセージを提供しているのです。現代私が書いている本が日本以外に住む人々にも少しでも役立つならば、これ以上の幸せはありません。
今日は私の話をお聞き下さりありがとうございました。
(2004年12月12日(日)大本鳥取本苑での月次祭後のスピーチ)



