おほもと Oomoto

国境を越えた日本芸術

ニール・ウォルシュ(日本語訳=田中雅道)

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大本名古屋分苑2月次祭後のニール氏の講話から

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今日、分苑に寄せていただいたことを光栄に存じます。ただ今は堀分苑長様からご紹介を賜りまして、ありがとうございました。月次祭にお参りさせていただき、皆さまにお目に掛かれましたことを感謝いたします。今回で私は4度目の大本訪問ですが、各地の機関をお訪ねするのは初めてです。名古屋分苑にお招きいただいたことを、とても光栄に存じます。

今日の祭典に深い感銘を受けました。祭典の前に鎮魂することは、私には初めてのことでした。月次祭の前に鎮魂するのは一般的でなく、名古屋分苑のユニークな点だと矢野さんから伺いました。鎮魂は祈りに向かう準備として、気持ちを落ち着かせるのに役立つと感じました。

祭典中、神さまから豊かな賜物をいただいていることや、祭員の動作から食べ物に対する感謝の念を感じました。堀分苑長さんがごあいさつの中で、食べ物に対して、注意を払うことが大切だとおっしゃったことを考えてみました。とりわけ餃子の事件が起きたばかりですから。教主さまがごあいさつで、信徒に毎日の行動をよく注意して、配慮するようにおっしゃったことも理解できました。

これからは、食べ物に感謝するように努めます。宗教的な精神的な活動に参加するだけでなく、そういう活動からメッセージを得て、それを実践することが大切だと存じます。この大きな学びの機会に感謝します。

私はニューヨーク出身で、2006年8月から日本に滞在しています。これで日本滞在は2度目です。2002年にも学生として滞在しました。

私は東京で英語を教えています。ディグニティ・ジャパンという企画を始めました。これは尊厳という観点から日本文化を研究することを目指します。すべての人の平和と尊厳のために行動する文化団体として、人の尊厳を守っている日本を模範として、尊厳に満ちた世界を築くためにどう役立てるべきかを検討します。

大本とのつながりが私にとって意味深い体験となったことを、お話します。それは日本滞在中のみならず、私の生涯を通じてです。1年以上前に大本を知りました。

栃木県で中学校の生徒に英語を教えていました。彼らは英語を学ぶことに多くの問題を抱えていました。私は他の外国語よりは、エスペラントの方が学びやすいこと、そしてエスペラントを学べば、他の言葉を早く学べるようになるという主張を耳にしました。

それで私はエスペラントについてインターネットで検索しました。そして私は大本がエスペラントを推進していることを知りました。私はまだエスペラントを学んでいませんが、いずれ学ぶつもりです。

「次に京都に行くときにはぜひ訪ねたい」と思いました。そのときはまだ、大本が宇宙の根源につながっていることが判っていませんでした。大本を訪ねたいという思いが私の運命であったことにも気付きませんでした。

インターネットを検索してから数週間経ったとき、2006年、広島国際平和サミットで私は、矢野裕巳さんとビル・ロバーツ氏に会いました。

ビルは私に大本のことを話してくれました。私は大本のことを聞いたことがなかったので、とても興味を抱きました。やがて私は、インターネットで検索して、大本がエスペラントを推進していることを読んだと思い出しました。その二つが一つにつながりました。

その後、私はビルと連絡を取り合い、ビルが昨年3月に大本に滞在していたので、私は亀岡を訪問し、月次祭に参拝しました。

私は昨年大本を3度、訪問しています。最初は月次祭に参拝し、祭典後の子供たちのお茶席に感銘を受けました。その日、私は能に関心をもっていることを矢野さんと話しました。彼は5月のみろく能を勧めてくれました。そして8月に比叡山宗教サミットが行われるので、大本の手伝いをするよう勧めてくれまして、私は関心を持ちました。

大本を訪問する度に私の大本への理解が深まり、大本の使命がわかってまいりました。今回は4回目の大本訪問で、1カ月間、亀岡に滞在しています。国際部でボランティアとして、ホームページの英語版を充実するお手伝いをし、若手職員に英語を指導しています。これまでの大本についての印象をお話します。

1年前に亀岡を訪問したとき、ビルは神苑を案内してくれました。作品展示室で王仁三郎聖師の耀わんを見ました。3点展示されていました。

衝撃でした。実に大きな衝撃でした。言葉がありませんでした。子供の心で作られたものだと思いました。新鮮な驚きと畏敬の念と挑戦を感じました。

王仁三郎聖師の芸術はメッセージであり、贈物であり、生きた教訓です。作品は神秘に満ちた教えであり、神わざです。

聖師さまの作品や歴代教主の作品は、現在の世界で尊厳をもって生きる模範を示しています。聖師の耀わんは名作です。感受性の高い人はそこに聖典を見出すでしょう。

出口日出麿師の「生きがいの探求」から、私が耀わんのうちに見た聖師さまの悟りについて言及されている個所を引用します。「ことわざに、賢人は愚者のように見え、悟った人は子供のようだと言う」。私は数日前から「生きがいの探求」を読み、偉大な精神的教えだと感じました。世界の多くの人にこの本を読んでもらえるようになれば良いなと思います。

2回目の大本訪問は昨年のみろく能の折でした。2001年から2年まで日本に滞在したときから能楽に興味を抱いていました。東京で能楽を教えるアメリカ人に会い、演能を数回、見ました。

私はオペラが好きで、ニューヨークのリンカーンセンターでよくオペラを観ました。能楽は、よくオペラと比較されますが、能楽はもっと力強いと私は感じます。

2002年に私はニューヨークに帰り、メトロポリタンオペラハウスでカルメンを観ました。オペラが始まったとたん、その華麗な演劇といえども、能の始まりに感じられる威力には及ばないと思いました。

能楽は人を喜ばせるものでなく、神さまへのものだと私は本能的に理解しました。能楽師は、西洋の舞台で一般的に行われるように、上演が終わった後舞台に登場し観客にあいさつすることは決してありません。また、観客は上演中に拍手喝采することはありません。そのことに私は感銘を受けています。

しかし、日本の青年たちに能楽や日本文化、芸術について話すと「私たち若者には関心がない」とか「おばあさんは興味があるかも」と言われて、私はいつもがっかりします。

私はそうは信じたくありません。青年たちは日本の伝統文化に興味を持っていると信じたいのです。ですから、大本の方が老若を問わず伝統文化に深い興味を抱いていることに感激します。

みろく能で私が目にしたのは、中学生や退職した方が能楽を演じている姿であり、息を飲むほどでした。

午前中ある婦人が仏教を主題にした能を演じていたとき、突然、大本の方が万祥殿に団体でお参りされ、ご神前に座られました。私は不思議な思いがしました。大本の祝詞と能楽の謡が同時に響き、あたかも神さまに両方が捧げられているように感じられ、そばにいた私たちはそれを光栄に感じました。

3度目の訪問は、昨年の比叡山の平和の祈りでした。そのときに万教同根という言葉を知りました。歴史的な催しに参加できたことを実に感謝しています。

それは毎年行われているのですが、昨年は20周年記念でした。その記念に平和の鐘が鋳造され、比叡山に贈られました。ボスニア・ヘルツェゴビナの青年6人と広島の大本青年6人が最初に鐘を撞きました。

出口紅大本教主さまが、終始半田孝淳天台座主の横に座られ、この催しで卓越した地位に就かれていることに気付きました。舞台上の世界宗教者の中でただお一人の女性だったことが印象的でした。

大本の宗際活動が世界に広まることを望みます。大本が宗教間の相互理解を深めるために絶えず尽力されていることは大切なことだと存じます。それと共に、大本が宗際活動にふさわしい言語と伝統を持つ数少ない世界宗教の一つだということは、より重要なことです。

とりわけ私が伝えたいことは、私を含めて欧米人の多くが能楽、茶道などの日本文化と芸術、そして神道に興味を抱いていることです。

その一方で日本人は日本芸術から遠ざかっていると存じます。その理由は、芸術の稽古のあり方と、各流派の階級制度によるものではないかと、私は思います。

大本が伝統芸術を促進し、信徒に習練を奨励し、信徒のみならず、広く芸術を体験する機会を提供していることに深く感銘しました。

これらの芸術は日本で生まれ、日本独自の様式を持つのですが、日本人だけのものではありません。日本芸術は国境を越え、精神的な違いを超越しています。

大本は私にとって、日本伝統文化を学ぶための大切な現場になりました。アメリカ人として私は、日本伝統芸術と文化は、より平和な尊厳ある世界を築くことに役立つものであると感じています。

(2008年2月17日)

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