本日は皆さま方にお話しできますこのような機会をいただき、大本そして紀伊本苑の皆様に感謝申し上げます。
大本での朝夕拝には何度もお参りしたことがありますが、月次祭には初めての参拝で、今日は大本での素晴らしい体験となりました。とてもうれしく感じております。
一昨日、和歌山に来て、熊野分所に参拝しました。また西分所長には熊野古道、那智の滝にも案内いただきました。また田辺では山本健本苑監事にご案内いただき、植芝盛平翁の足跡を訪ねることができました。和歌山は本当に美しい所だと思います。
私がどのように大本を知り、大本に出会ったかを話す前に、まずどのように日本と出会ったかを話したいと思います。2つの理由があり、1つは学業の関係、もう1つは武道の関係です。
私はカナダ、オンタリオ南西部の小さな町チャタムで育ちました。チャタムはトロントから車でおよそ4時間、国境を越えた米国、ミシガン州のデトロイトからおよそ1時間のところに位置しています。住民のほとんどが農業に従事しています。
オンタリオは実に美しいところです。ご存じのようにこの地域にはたくさんの特別自然区があります。
故郷のチャタムからそんなに離れてない所に多くの美しい場所があり、その中には、エリー湖湖畔のポイントピリー公園やロンドー公園があります。
ジャックマイナー鳥保護区はポイントピリーからそんなに離れてはいません。アルゴンキン地方公園はオンタリオ中部に位置し、多くの旅行者にとって非常に人気のスポットです。
アルゴンキンはオンタリオにおける最初の州立公園です。7,630平方キロメートルの面積で、和歌山県の2倍より少し小さいぐらいの広さです。
そしてもちろん皆様ご存知の壮大なるナイアガラの滝があります。もう一つのオンタリオの美観地区です。
皆様のなかでナイアガラの滝を実際にご覧になった人もおられるでしょう。少なくとも写真で見られた事はあるでしょう。
個人的には、子供時代、毎年夏になると家族で荷物をまとめエリー湖畔にある2部屋の小別荘へ向かいました。このロッジで過ごした日々は幼少時代のもっとも素晴らしい思い出です。
ゆっくりと燃えるたき火のそばで星を仰ぎながら、海岸で眠った暑い夏の夜を今でもよく覚えています。
私は常に自然が好きでした。豊かな自然に囲まれて子供時代を過ごしたことは本当に素晴らしいことでした。
どのように武道に関心をもったかは正確には覚えていませんが、恐らく子供時代によくいじめに遭ったことがその根本にあるのかもしれません。当時、私は眼鏡をかけていて、このことが常にいじめの標的になりやすかったように思います。
学校でいじめに遭い眼鏡を壊され、服を破られて帰宅することはまれなことではありませんでした。
当時、私はこれといった趣味がなく、父に武道クラブに入りたいと言うとあっさり認めてくれました。
故郷のチャタムは非常に小さな町でしたので、習える武道といえばテコンドーだけでした。
皆様ご存じの韓国で生まれたスポーツ武道です。私はさっそくテコンドーの稽古に加わりました。
そのあともう一つの道場を見つけました。そこでは少林寺拳法を教えていました。
テコンドー、少林寺拳法への私の興味は長くは続きませんでした。ある時から単にパンチやキックではなく、関節技に関心を持ちました。7歳のころから少林寺拳法を始め、中学へ入学すると合気道を始めました。
合気道に関心をもったのはある出来事からでした。1年に1度、地域で開かれる武道大会にたまたま私は参加していました。1人の女の子が合気道を紹介していました。その女の子は相手を簡単に投げていました。生意気な私は自ら進み出て、私なら投げられないだろうと彼女に挑戦しました。彼女はみごとに私を投げたのでした。
その時、投げ技だけに感心したのではなく、その後に続く押さえ技にも興味を持ちました。その時以来、関節技に対する関心が高まり、合気道が自分に一番適していると感じ始めました。
しかし私の町には合気道が習えるところがありません。日本のようにどこでも合気道が学べるわけではありません。交代で各家が運転して、隣の町、ウインザーへグループで稽古に通いました。
ウィンザーは私の町から車で1時間ほどの町で米国の都市デトロイトから国境を越えたところです。
ウインザーの道場では養神館合気道を学びました。塩田剛三師範によって発展した戦闘的流派の合気道です。東京警視庁で取り入れられている合気道の流派と聞いています。串田誉司先生によって米国に伝えられました。串田先生は今でもミシガン州アンアーバというデトロイトの近くで道場を続けています。
私は串田先生の弟子の1人であるケビン・ブロック先生から合気道を学びました。ブロック先生もかつてアンアーバまで稽古に通ったはずです。オンタリオのロンドンにある大学に入るとすぐに合気道クラブに入りました。
武道に対する私の情熱は大きなものでしたが、1995年の初来日は武道を学ぶ為ではありませんでした。
カナダの大学で私は建築工学を学んでいました。大学在籍中に神戸で大きな地震が起こりました。大学の担当教官の1人に相談し決断しました。卒業後、ボランティアとして神戸復興のお手伝いをさせて頂こうと。
地震発生の後しばらくしてから神戸に来たので、地震直後の片付けには間に合いませんでした。
神戸に到着した私はCAD(computer aided design ) すなわちコンピューター利用による設計に従事しました。
当時ほとんど日本語が出来なかったことが仕事を困難にしましたが、当時、私がやり終えたCADの仕事は後に日本語の解説で編集されました。
前置きが長くなりましたが、この地震という不幸な運命により私は日本に来ることができました。そしてこれがきっかけで大本の合気道に導かれていくわけですが、私の最初の大本との出会いは、すこし後の1997年春になります。
初めての大本の記憶は少しぼんやりしています。私が撮影した写真を見ると1997年の4月であることがわかります。不思議なことに大本での最初の写真は私が鳳雛館の前に立っている写真です。鳳雛館は今私が合気道の稽古に通う亀岡の道場です。
私が以前、稽古に通っていた大阪の天心道場のグループで亀岡、綾部への数日の旅行が企画され、私も参加したことがありました。
私の最初の大本の印象は息を飲むという言葉が最も適切な表現かもしれません。自然に囲まれた聖地。大本聖地のどこへ行っても深い精神的やすらぎを感じたのです。
私が人生で直面していた多くの問題を解決する手だてとなったのはこの平和な気持ちと開放性でした。
大本は私が日本で肉親の死から孤独に陥っていた気持ちを癒してくれ、合気道を止めようとしていた気持ちから再び合気道と向き合う勇気を私に与えてくれました。
大学卒業以来何度も来日していますが、今回は2005年、関西に来てからほぼ3年が過ぎようとしています。
今回、日本に来たころ、1週間に5回、合気道の稽古をしていましたが、現在では仕事の関係で週に2、3回です。
毎週木曜日の夜は豊中から亀岡に、水曜日の夜は綾部まで稽古に通っています。
亀岡、綾部へは、たいていバイクで通い、バイクはそのために購入しました。このほかにも火曜日、土曜日、家の近所の武道館でも稽古に参加することがあります。
合気道の稽古をしていない時は仕事をしています。英会話学校を経営していて、この収入で日本での暮らし、合気道の稽古が続けられています。
もちろん皆様の方がよくご存知ですが、合気道は大本に深く根付いています。合気道の原則や信条がどこから生まれたのかを考え続けることは私にとってきわめて重要です。
大本の自然、そして芸術に対する愛情は大本信徒であった植芝盛平合気道開祖に受け継がれていると信じています。私はカナダの合気道の弟子にもこのことを理解して、ぜひ受け継いでもらいたいと考えています。
残念なことですが、北米では一般に武道は戦いの手段であって武道を芸術と考えている人はまれであるといわざるをえません。
英語の辞書にはmartial arts ( 武道)のmartialは 好戦的、戦闘的という意味で定義されています。徒手で戦う戦いの戦略なのです。
しかし英語でのmartial arts は少し間違った呼び方であると思います。というのも、武道に好戦的といえるものはないからです。
私は稽古中に聞いた1つの言葉を今もずっと覚えています。「武道は美しい」。私はこの言葉が大好きです。自分自身の技を磨く時にこの言葉を常に思い出しています。
私はあらゆる種類の武道に敬意を払っています。あらゆる種類の武道には相関関係があると思います。
ある時、武道の指導者がさまざまな技を扇子で指導しているところを見て驚きました。足の動き、手の動きが同じであるからでしょうか?
過去に私は居合道と柳生新陰流を習ったことがあります。しかし引っ越しのため、稽古をやめてしまいました。
合気道のテクニックは刀の動きに由来しているので、居合道で教えられた動きや芸術的な刀の動きはある程度まで合気道の動きと一致していると思われます。
もちろん武道は私にはもっとも関心のあるものですが、その他の日本芸術にも興味を持っています。もうすこし時間や機会があれば、その他の芸術も学んで見たいと思っています。私は前からそろばん、太鼓、あるいは日本語も上のレベルをめざして勉強したいと願っています。言語もまた別の形の芸術、技術であると思います。
創造的芸術もまたとても感動的です。書道の授業を受けている時、半紙に先生が書く力強い筆の動きに自分自身、心が奪われていることに気づきます。私が武道の先生の教えに心を奪われるのと同じことです。
日本刀も驚嘆に値するものです。日本にいる間に私は出来るだけ多くの文化的イベントに参加するようにしています。
ある時、鳥取へ友人達と出かけ日本刀がどのように鍛造されるのかを見ました。
綾部で陶芸窯や機織りを窯芸道場で見ることができました。数年前に京都の美術館で開催された大本芸術展にも訪問する機会がありました。
過去の大本教主、指導者の偉大なる芸術作品を拝見し、いかに大本では芸術が重要であるかを認識しました。
その時に王仁三郎師の宗教は芸術の母であるという言葉を知りました。昨日も、熊野分所で西分所長に歴代教主の作品のいくつかを見せていただきました。
合気道に関して、ここ大本で学べることは私の人生でもっとも素晴らしい体験の1つです。効果的、実践的なテクニックを学ぶだけでなくいかに他人の役に立つことが出来るかを学んでいます。
大本へ到着した最初の日、お会いした大本の方々が私にあいさつしてくださいました。私が皆さまにとって全くの見知らぬ人間にも関わらず大本の人たちは本当に親切でだれでも親切に歓迎してくださいます。この親切さと開放的な態度を私の稽古に取り入れたいと望んでいます。
大本の他の宗教に対する寛容性は私が常に信じてきた偉大な特性で見習わなければならないことです。今、私は子供時代よりもたくさん本を読んでいます。そして出典はわかりませんが、次の言葉を好んで使っています。「あなたが出会うすべての人はなんらかの問題を抱えているものです」
他人を理解して、哀れみを持つ事は合気道を含め多くの武道の稽古にとって本質的なものです。どんな道場でもオープンに生徒を受入れなければ道場としての道を失うと思います。
非常に残念ですが、現在多くの道場はあまりにもビジネス化し財政的成長に腐心し、本来の生徒、弟子の成長に力を注いでいません。この傾向は西洋に多くみられますが、日本にも同じことが起こっているように思われます。そうではなく、道場は兄弟姉妹のような気持ちをはぐくむ場所でならなければならないと思います。そしてさらに道場の外の社会との関係においても、よりよい関係を築く場所でなくてはならないと思います。
私はこの理想の道場の形を亀岡の鳳雛館に見つけました。私の鳳雛館の稽古仲間は素晴らしい人たちです。彼らと稽古が出来なくなる時にはきっと寂しく感じるはずです。
最後に素晴らしい合気道の先生である七良浴大吉先生についてお話をして私のスピーチを終えたいと思います。私は七良浴先生の弟子であることを最高の誇りとしています。
先生はおそらくどれほど私が先生から影響を受けたかをご存知ないと思います。私は指導者としての先生を深く尊敬しており、また感謝しています。大本での七良谷先生の合気道の稽古は私にとってまた別の世界の合気道でした。そしてカナダへ持ち帰るさまざまな新しいテクニックでもありました。
実は今まで私が学んだ合気道とは違っていたため、最初は多少のためらいがありました。しかし辛抱強く先生は指導してくださり徐々にテクニックのポイントを1つずつ理解できるようになりました。私は本当にもっと早くこの先生に出会っていたら、もっと多くのことを学べたのにと悔しく思うくらいです。
最後にもう一度、大本の出会いによって素晴らしい体験ができたことにお礼を申し上げたいと思います。私が大本で稽古できるようにしてくれた多くの人に感謝したいと思います。
皆さまに、大本の人たちに、そして七良浴先生に感謝申しあげます。単に合気道のテクニックを教えてくれただけでなく、すべての人に思いやりを示すという私の精神的信条の扉を開けてくれたことに。
(原文は英語 Mr. Nevada Taylor)
(2008年4月13日 紀伊本苑春季大祭後の記念講話)








