2007年10月に、浅井、成尾両氏がブラジルを訪問され、その滞在中に私に「一年間、日本へ行って大本本部で勉強してみないか」とお誘いを受けました。
お二人の話をお聞きしましたが、私には、それがどういうことなのか、どうしたらいいのかわかりませんでした。信じがたい気持ちと驚きが、私の心の中で入り混じっていました。しかし、長期にわたってブラジルを離れるということは、私の心理学者としての職を失なうことになるので、そのお誘いをお断りしました。
数カ月後に新たなお誘いがありました。このたびは五カ月間の学習というものでしたが、それに参加したからといって私が大本の職員になれるというものでもありませんでした。そのような提案に、私はまたびっくりいたしましたが、最後にはお誘いをお受けすることにしました。
私は4月9日に日本に到着しました。ブラジルがだんだん遠くなっていくように思われて、ブラジルが恋しくなってしまいました。大本本部のある亀岡の地を踏んだとき、地球の裏側にいるのだという意識だけがありました。たいへん寒い夜で、そのとき私は長旅で疲れていました。
翌日、私は朝の礼拝と世界平和の祈りに参加しました。日本の大本の職員の方々は皆、時間を割いて世界平和のために祈願しているのだと知って、私は心を打たれました。
これ以外にも私がたいへん感動した出来事があります。ブラジルでは「ヘレナさま」という愛称で知られていますその大本の五代教主出口紅さまにお会いしたときです。お会いできてたいへんに爽快で、幸せでありました。といいますのは、私たちは日本で印刷し、ブラジルで出版された最初の大本書籍である『大本讃美歌』の新版をお渡しすることができたからです。
教主さまがその本のページを繰られ、ポルトガル語で書かれた讃美歌をご覧になり、私にその中の一つを歌うようにと言われました。私が歌うのを静かに、注意深く聴いてくださり、感激の至りでした。私が歌い終わったとき、あたたかく微笑まれ、拍手をして、たいへんすばらしかったとおっしゃいました。
私の訪日目的のうちの一つは、歌祭に列席することです。歌祭は千年以上も前から日本で行われていた儀式で、長年にわたって忘れられていたのを、1930年代に出口王仁三郎聖師が復興されたものです。
ブラジルで、この儀式の見どころを写した写真を見ましたが、この儀式の深い意義をよく理解することではできませんでした。
訪日早々、私は新東京本部で行われた歌祭に列席することになりました。その日、私は体調がちょっとよくなかったのですが、笛の一節を聴いたとたんに体調不良などはどこかへいってしまいました。
私は、日本語は理解できませんでしたが、儀式の間ずっと列席していました。しかし、少しずつ会場にみなぎっていく大きなエネルギーを感じました。それは何ものにも比べようもない驚きであり、ときどきは感激の涙を押し止めなくてはなりませんでした。朗詠者は日本各地から送られて来た日本語、英語、エスペラント語の短歌を朗詠しました。しかし、もっとも印象的であったのは駐日の、パレスチナ代表部代表と、エジプト、ヨルダン、イスラエルの各国大使の歌が、各国語で朗詠されたことです。
私は、ブラジルの人々も私と同様に列席し、私が感じたことと同じことを感じることができたらよいのになあと、ずっと思っていました。それくらい歌祭はすばらしいものでした。私が感じ得たことをすべて書き表すことがまだ出来ないくらい歌祭は荘重なものでした。エジプト、ヨルダン、イスラエルの高官の人々もこの幸せを感じたに違いないと、私は信じています。なぜなら彼は最後に、互いに抱擁して、お互いは敵同士ではない隣人であると主張し、列席者を感激させたのですから。
世界の平和を人々にこれだけ望まれているときに、この歌祭の間にそれが実現したのを目の当たりにした列席者は、とうてい信じられない幸せなことだと、涙する人々も見えました。
歌祭の後、私は三代教主の出口直日師のつぎの言葉を理解することができました。歌祭は、すべての人々の罪を祓う節分大祭に匹敵する重要な神事であると思いました。
2010年には、ブラジルで初めて歌祭が行われます。そのときまでに多くの準備をしなければなりませんが、その中でもブラジルの人々は、まず歌祭のすばらしさを認識することだと思います。
今、私の国の人々は、この大きな行事を開催運営することを自覚していますし、また誇りに思い、幸せに思っています。また出来るだけ良いものにしたいと思っています。そして「私たちのヘレナさま」である大本五代教主である出口紅さまの渡伯を熱く望んでいます。




