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大本のあゆみ

LinkIcon大本の歴史

LinkIcon大本年表 ― 天保7年〜平成15年(開教111年)―

LinkIcon第一次大本事件・第二次大本事件

LinkIcon型の大本

LinkIcon〈元伊勢お水のご用〉と〈出雲火のご用〉の神示

大本事件について

第一次大本事件:大正10年(1921)2月12日〜昭和2年(1927)5月17日
大正10年2月12日、不敬罪と新聞紙法違反の疑いで、出口王仁三郎教祖ほか数人が検挙され、王仁三郎は126日間の未決生活ののち保釈。同年秋から『霊界物語』の口述を始めた。その後、事件は大審院で“前審に重大な欠陥あり”として、前判決を破棄し、再審理中、大正天皇の崩御により免訴となり解消した。
第二次大本事件:昭和10年(1935)12月8日〜昭和20年(1945)10月17日
日本近代史上類例をみない大宗教弾圧。軍国主義に進む時の政府が教団の聖地を没収し、一切の施設を破壊。信徒3000余人を検挙、拷問などで16人が死亡。第二次世界大戦終結前に治安維持法無罪の判決がおり、また終戦に伴い不敬罪も解消し解決した。
この事件で大本が被った損害は甚大なものであったが、国への賠償、補償要求は、「政府からの賠償金といっても、けっきょく敗戦後の国民の血税から受けとることになる」という王仁三郎の言により、いっさい行っていない。また大本は戦時中は弾圧下にあったため、当時の戦争に加担・協力することのなかった唯一の宗教団体とも言われている。
また昭和20年12月30日、鳥取県吉岡温泉での王仁三郎による談話が、大阪朝日新聞に次のように報じられた。
「自分は支那事変前から第二次世界大戦の終わるまで囚われの身となり、綾部の本部をはじめ全国4000にのぼった教会を全部たたき壊されてしまった。しかし信徒は教義を信じつづけて来たので、すでに大本教は再建せずして再建されている。……自分はただ全宇宙の統一和平を願うばかりだ。日本の今日あることはすでに幾回も予言したが、そのために弾圧をうけた。……これからは神道の考え方が変わってくるだろう。国教としての神道がやかましくいわれているが、これは今までの解釈が間違っていたもので、民主主義でも神に変わりがあるわけはない。ただほんとうの存在を忘れ、自分の都合のよい神社を偶像化して、これを国民に無理に崇拝させたことが、日本を誤らせた。……日本敗戦の苦しみはこれからで、年ごとに困難が加わり、寅年の昭和25年までは駄目だ。いま日本は軍備はすっかりなくなったが、これは世界平和の先駆者として尊い使命が含まれている。本当の世界平和は、全世界の軍備が撤廃したときにはじめて実現され、いまその時代が近づきつつある。」(「吉岡談話」)