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大本の概要

大本は、宇宙万物を創造された主神の愛善と信真にもとづく地上天国建設を目的としています。
諸悪の根元は、人心の利己主義(われよし)と弱肉強食(つよいものがち)にあるとし、人類が四大綱領(祭・教・慣・造)の本義にかえり、四大主義(清潔主義・楽天主義・進展主義・統一主義)の生活を実践することを説いています。
また、すべての正しき宗教や教えは究極の実在(一つの主の神)から出ていると説く万教同根の真理に基づき、各宗教宗派が大和協力するよう、活発な宗教協力・宗際化活動を行っています。

大本の歴史

明治25年(1892)、出口なお開祖に大地の主宰神、艮(うしとら)の金神=国祖・国常立尊(くにとこたちのみこと)が帰神して「三千世界の立替え立直し」を宣言、開祖が昇天する大正7年(1918)までに世界への預言・警告の筆先(半紙20枚綴り1万巻)を記しました。

明治31年(1898)出口王仁三郎教祖は、神霊の導きにより、郷里の高熊山(京都府亀岡市)で1週間の霊的修業をし、現界・幽界・神界、三界の過去・現在・未来を洞察する神力を受け、救世の使命を悟りました。
同32年(1899)王仁三郎聖師は、神命を受け、大本に入り、開祖の五女出口すみこと結婚し、開祖とともに大本の基礎を築きました。

大正6年(1917)から開祖の筆先を『大本神諭』(全7巻)として発表。
同10年(1921)から、王仁三郎の高熊山修業の際、見聞した内容を口述した救世の書『霊界物語』(全81巻83冊)を刊行。
同8年(1919)亀岡城址を入手し、“霊国”の移写・神教宣布の中心(天恩郷)とし、発祥の地・綾部を“天国”の移写・祭祀の中心地(梅松苑)として二大聖地を築きました。

王仁三郎聖師が大本入りしてからは、大本の教勢は飛躍的に伸び、国家当局はその影響力を見のがすことができず、大正10年(1921)には第一次弾圧を、ことに昭和10年(1935)には「大本をこの世から抹殺する」として第二次弾圧を受けてしまいます。

昭和20年(1945)無罪判決により第二次大本事件は全面解決し、翌21年(1946)に愛善苑として再発足します。
同27年(1952)、出口直日(王仁三郎、すみこの長女)が三代教主を継ぎ、教団名を大本に復活、出口日出麿三代教主補とともに、人心の改造と世界恒久平和実現につとめました。

平成2年(1990)出口聖子(直日、日出麿の三女)が四代教主を継承しました。
平成4年(1992)開教百年を迎え、綾部・梅松苑には、天地の親神をまつる神殿「長生殿」が完成しました。

平成13年(2001)4月29日、出口聖子四代教主の昇天により、出口 紅(聖子の養女、直日・日出麿の孫)が五代教主を継承しました。
21世紀をむかえるとともに、大本百年の基礎を経て大本神業(しんぎょう)は新たな段階を迎えています。

大本は天啓教(天からの啓示をうけて発祥した宗教)であると同時に、経綸教(けいりんきょう)でもあります。
教祖(出口なお、出口王仁三郎)時代以来、大本には神霊が永遠に降下して、人の世の経綸(しぐみ、プログラム)を行うと示されています。
したがって大本で起こった出来事が、鏡に映したように、日本に世界に同じように起こった事柄が少なくありません。
つまり大本の歴史は、時代に応じた神の経綸が、日本・世界に投影した歴史でもあります。

弥勒殿
出口なお開祖様出口王仁三郎聖師様
出口すみこ二代様出口直日三代様
出口日出麿三代補様出口聖子四代様

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