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梅松苑 京都府綾部市

長生殿 (ちょうせいでん)

長生殿 (ちょうせいでん)

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綾部市梅松苑の本宮山山麓・鶴山平に建つ長生殿は、宇宙の主神、天地の主宰神をまつる神殿として、平成4年(1992)11月に完成した。

本殿にあたる長生殿を中心として、向かって右に歴代教主・教主補の神霊をまつる老松殿、左に会議・集会・茶席などに利用される白梅殿、さらに前殿の鶴亀殿と四棟からなり、これらを総称して長生殿という。その他、能舞台や茶室がある木の花閣、祭祀事務所の博約館などが配置されている。建物の総面積は1738坪(5746平方メートル)。

日本建築の第一人者・杢正夫氏指導のもと、日本伝統建築技術の粋を結集して造営された今世紀最大の純日本建築物といわれている。

出口王仁三郎教祖は「長生殿建ち上がりたるあかつきは神の経綸(しぐみ)も漸(ようや)く成らむ」と、長生殿がもつ神的意義を示し、過去2回、建設を試みた。1度目は大正10年(1921)、本宮山神殿として完成したが、第一次大本事件で、わずか4カ月で国家当局の手により強制破却。2度目は、昭和10年(1935)、基礎が完成しただけで、再度の弾圧に遭い破壊された。長生殿は、大本にとってまさに悲願の神殿であった。

昭和59年(1984)、出口直日三代教主の言葉によって造営に着手。平成2年(1990)三代教主が昇天後、長生殿の造営は出口聖子四代教主に引き継がれ、平成4年(1992)大本開教100年の年に完成した。

■長生殿での主な祭典・行事

  • 節分大祭/二代教主聖誕祭/四代教主聖誕祭/豊年祈願祭(2月3日)
  • みろく大祭(5月5日)
  • 大本開祖大祭/新穀感謝祭(11月の第一日曜日)
  • 新年祭(1月1日)
  • 神集祭(旧暦7月6日〜12日)
  • 開祖聖誕祭(12月16日)
  • 梅松苑月次祭(1月3日、3・4・6・7・9・10・12月の第1日曜日)

■老松殿での主な祭典・行事

  • 聖師毎年祭(1月19日)
  • 二代教主毎年祭(3月31日)
  • 四代教主毎年祭(4月29日)
  • 三代教主毎年祭(9月23日)
  • 三代教主補毎年祭(12月25日)

本宮山 (ほんぐうやま)

本宮山 (ほんぐうやま)

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大本の至聖所「本宮山」。標高91.7メートル、広さ約6ヘクタール。神体山である。鶴山、桶伏山、円山、丸山とも呼ばれる。

現在、山頂には、残った旧長生殿の礎石の上に、こんもりと砂盛りされた最高至聖所「月山不二(つきやまふじ)」がある。その正面には神声碑、教碑がたっている。本宮山は禁足の至聖所になっている。

元屋敷 (もとやしき)

元屋敷 (もとやしき)

出口家の元屋敷跡で、明治25年(1892)旧正月、開祖が帰神し、神の啓示をうけた大本発祥の地。

「大本神諭」には、この元屋敷について、「出口直の神宮本宮の御屋敷は世の本の誠の神の宮屋敷であるぞよ。この御屋敷は尊い元の神の天地へ昇降いたすとこで昔から定まりてあるなれどなんと申しても古い事であるから人民には判らんのは無理なきことであるぞよ」(明治43年旧9月28日)と示されている。

みろく殿 (みろくでん)

みろく殿 (みろくでん)

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梅松苑の正門を入ると、銅板ぶきの重厚な屋根に覆われたみろく殿がある。敷地面積1931平方メートルで、殿内は789畳敷、高さ23メートル。出口すみ子二代教主の発意を受け、昭和28年(1953)4月に完成した。祭神は「おほもとすめおほみかみ」。

長生殿が建設されるまでの約40年間は、梅松苑の中心神殿であった。

現在はみろく殿に祖霊社と万霊社が設けられ、祖霊社では、全国の大本信徒などの祖霊(祖先の霊)がまつられ、平成20年5月に新設された万霊社では、世界各地の戦争や災害、不慮の事故などで亡くなられた犠牲者のみたまをまつっている。

みろく殿でのおもな祭典

  • 春季祖霊大祭(5月)
  • 秋季祖霊大祭(11月)
  • 春季万霊大祭(5月)
  • 秋季万霊大祭(11月)
  • 万霊恒例祭(1月17日・阪神淡路大震災、8月15日・終戦記念日、9月11日・ニューヨーク同時多発テロ)
  • 祖霊月次祭(5月、11月を除く毎月15日)・万霊月次祭
  • 祖霊社例祭(毎日午後1時から)に引き続き万霊社礼拝

神木 榎 (しんぼく えのき)

神木 榎 (しんぼく えのき)

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みろく殿前の広場に、「神木・榎」がある。樹齢約150年といわれている。出口なお開祖は、この榎を見、「たくさんのえらい神さんがおられるのやで」と、よく側近に話していたという。

第二次大本事件中、榎周辺は何鹿郡設グランドになり、榎もあやうく切られるところだった。

事件から復活した梅松苑のシンボルとして、榎は今もみろく殿前広場にそびえている。

金明水 (きんめいすい)

金明水 (きんめいすい)

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元屋敷の東側に「金明水」の井戸がある。明治34年(1901)の「元伊勢お水のご用」で、元伊勢産盥(うぶだらい)産釜(うぶがま)から汲み取った清水がこの井戸に注がれ、以来、金明水と命名され「ご神水」として用いられてきた。

現在、みろく殿前の御手洗(みたらし)には、金明水が引き上げられ注がれている。参拝者はこの水を頂き、神徳に浴している。

金竜海 (きんりゅうかい)

金竜海 (きんりゅうかい)

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みろく殿南側に、満々と水をたたえて「金竜海」は広がる。池には沓島、冠島、大八洲、六合大島、大和島の島々が浮かび、その間を金や赤や黄の錦鯉がのどかに泳いでいる。

金竜海は大正6年(1917)、3年の歳月をかけて開掘。

第二次大本事件勃発とともに金竜海は埋め立てられ、何鹿郡設グランドになった。

事件解決後の昭和23年(1948)1月、戦後の交通難と食料不足の中を、全国各地からかけつけた信徒によって、再び掘削工事が始まり、同26(1951)10月に完成。

ただし、豪州大陸の型といわれる大和島は、大正10年の第一次大本事件以後、長く地続きのままになっていたが、平成17年(2005)五代教主の指示により、地続きとなっている部分に水路を掘削し、新たに「みろく橋」を架け「大和島」を復元する工事が行われ、11月6日の大本開祖大祭当日、金竜海大和島「みろく橋」渡り初め式が行われた。

天恩郷で大道場修行を受講した修行者は、最後に龍宮丸で金竜海を巡り、大八洲神社に参拝して修行を終える。

木の花庵 (このはなあん)

木の花庵 (このはなあん)

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金竜海東側にある茅茸屋根の素朴な建物が「木の花庵」。昭和47年(1972)5月に、国の重要文化財に指定された。もとは京都府船井郡瑞穂町に建っていた民家で、昭和42年(1967)まで岡花金五郎氏の住居。この家が建てられたのは17世紀後期(江戸時代前期)ごろと推定され、築後約300年。

岡花氏転居後あき家となり、放置状態に。その後、家が取り壊しになるところを大本が譲り受け、移築・復元した。

緑寿館 (ろくじゅのやかた)

緑寿館 (ろくじゅのやかた)

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本宮山の麓、梅松苑の中段に緑寿館はある。梅松苑における教主公館として、昭和49年(1974)に着工、同54年(1979)に完成した。神殿棟、公室棟、客寮棟、受付棟など六棟からなり、建物面積は約554.3坪(1832平方メートル)。

鶴山居 (かくざんきょ)

鶴山居 (かくざんきょ)

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緑寿館東側の松林の中に、緑寿館の茶室・鶴山居と、待合の遊亀亭が建っている。昭和54年(1979)10月8日に完成。同11日に茶室びらきが行われた。

鶴山居はこけら板ぶきで、建築面積が36.5坪(約120.5平方メートル)。緑寿館とともに「日本古来の伝統建築技術と木材を十分に生かして後世に残しうる建築」を目指して、文化庁文化財保護審議会専門委員として多くの国宝、重要文化財の修理再建にあたってきた杢正夫氏や中村為斎棟梁を中心に、日本建築技術の粋を集めて建てられた。本席は4.5畳、そのほか3畳、6畳の間がある。南東面は広い廊下があり、機能的に使えるようになっている。

遊亀亭は建築面積が17.4坪(約57.4平方メートル)。遊亀亭から林の中を通って鶴山居の本席へ向かう。露地から鶴山居に入り、南縁側の障子をあけると、池泉が広がる。

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