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大本の芸術・はじめに

「大本の王仁三郎師、すみこ刀自、直日様と、大本一門にはずばぬけた大物がそろっている。
  これは君ィ、大変な出来事だよ」

418px-Rosanjin_Kitaōji_1954.jpg     北大路魯山人     1883年(明治16年)3月23日– 1959年(昭和34年)12月21日)。日本の芸術家。篆刻家・画家・陶芸家・書道家・漆芸家・料理家・美食家などの様々な顔を持っていた。 の言葉は、稀代の万能芸術家・北大路魯山人の口癖だった。

戦前、戦中、二度にわたる宗教弾圧を受け、現代の宗教・思想史に深く名が刻まれる出口王仁三郎(1871〜1948)は芸術家としても知られている。

「芸術は宗教の母なり」という独自の芸術観を主張し、その驚くべきエネルギーと独創は膨大な数の陶芸作品や短歌、書画を生んだ。

とりわけ陶芸に傾倒し、晩年の1年余、自身の“いのち”を吹き込むかのように約3,000点余の楽焼を制作。それらの作品は型にとらわれない奔放さと鮮やかな色彩から、近代絵画の巨匠ルノアールとも比べられる。陶芸評論家の加藤義一郎は、これら晩年の楽焼を輝く盌―「耀盌」と名づけた。

魯山人は、王仁三郎の妻・すみこ(1883〜1952)の手紙を初見したときの驚きを「その字たるや魅力将軍太閤様ばりで実に天真爛漫、スケールが大きくて自由自在」と記し、その書を書斎に張りめぐらし、座右から離さなかった。哲学者・谷川徹三はこの書の中に独自の美しさを見いだし、「日本書道史の上から見ても第一級の書」と最大級の賛辞を贈った。

王仁三郎・すみこの長女・直日(1902〜1990)の作品も多くの人を魅了し、小山冨士夫など、直日のもとを慕い訪ねた文化人は少なくない。その一人、松本清張は「近ごろ技巧に走った陶芸の中で直日氏のそれは依然として、自然の精神をおおらかにうたいあげている。歌でいえば万葉集にも当たろうか。素朴で、自然な情感が、高い調べで力強く表現されている。長い間忘れていた故郷をここに見つけて、そのやすらぎに陶酔する思いである」と記している。

直日の夫・日出麿(1897〜1991)は大本弾圧事件(昭和10年~20年。「第二次大本事件」)で、王仁三郎の後継者として最も過酷な取り調べを受けた。事件後の後半生は家族との交わりを一切断ち、孤高の境地に身を置いた。その書は、高潔にして簡素。枯淡、清冽、至純、幽玄などといった月並みな形容をはるかにこえた精神美の輝きとも、あるいは別天地の“神仙の境”から到来する輝きとも識者から評されている。
(文中 敬称略)

「芸術は宗教の母なり」出口王仁三郎

聖師 明光社 楽焼場 昭和7年10月12日(高画質)003.jpg      出口王仁三郎「芸術と宗教とは、兄弟姉妹の如く、親子の如く、夫婦の如きもので、二つながら人心の至情に根底を固め、共に霊最深の要求を充たしつつ、人をして神の温懐に立ち遷らしむる、人生の大導師である。

(中略)

瑞月(出口王仁三郎)はかつて芸術は宗教の母なりと言ったことがある。しかしその芸術とは、今日の社会に行わるる如きものを言ったのではない。造化の偉大なる力によりて造られたる、天地間の森羅万象は、何れも皆、神の芸術的産物である。

この大芸術者、すなわち造物主の内面的真態に触れ、神と共に悦楽し、神と共に生き、神と共に動かんとするのが、真の宗教でなければならぬ」
     出口王仁三郎著『霊界物語』第65巻「総説」より

王仁三郎は美によって
神を感得する道を提唱した――


王仁三郎は『芸術は宗教の母なり』と規定して、独自の宗教・芸術一元論を説き、美によって神を感得する道を提唱した。
古くから宗教を芸術の母体と考える思想は、東洋にも西洋にもあった。そのような考えに支えられて、仏画や神像、寺院や聖堂などの厖大な宗教芸術がつくられた。
ところが、王仁三郎の考えはその逆である。
…王仁三郎は自然の産出原理と芸術の創造原理との同一性を説く。彼の作品に『天国』と名づけられた茶盌が多くあるが、これは意味深長である。

【木村重信(大阪大学名誉教授。国立国際美術館長、兵庫県立美術館長などを歴任)】