十曜の紋WEB用2.psd宗教法人大本headnametype.png

I トップページ I グローバル I お問合せ I
印刷用表示 |テキストサイズ 小 |中 |大 |


出口王仁三郎の芸術

古今独歩

出口なお      出口王仁三郎          明治4年〜昭和23年 (1871〜1948) 明治4年、京都府亀岡市生まれ。幼少時代より特殊な霊能力を持ち、“神童”といわれる。明治32(1899)年、「大本」の開祖・出口なお(教祖)を訪ねて、大本入り。なおとともに、大本教祖となる。「人類愛善」「万教同根」の理念のもと人類愛善会を創立するなど、世界平和の建設を目指した。書画・陶芸・短歌などの芸術作品は膨大な数にのぼる。著書は『道の栞』『道の光』『霊界物語(全81巻)』など多数。口王仁三郎は、最晩年の1年3カ月間、楽焼き造りに没頭した。その数、3,000点余に及ぶ。昭和10年(1935)におきた大本弾圧事件により、6年8カ月の未決独房生活を強いられた王仁三郎は、自由の身となった後、昭和19年(1944)の年末から制作を始めた。その時すでに73歳。独房で想念を巡らした焼き物造りに精根を傾けた。粘土をこねて形を作り、竹のささらで表面を穿ち、次から次へと彩色した。「古今独歩」の楽焼茶盌の誕生である。

焼き上がった茶盌は「そのうち宝になる」と、惜しげもなく信徒らに分け与えた。その茶盌を手にした信徒らは、戦後の暗い時代の中で、輝くような美しい茶盌を家宝にした。

王仁三郎昇天の翌年、昭和24年(1949)に陶芸評論家の加藤義一郎が備前焼・金重陶陽(人間国宝)宅で、王仁三郎の茶盌を見て衝撃を受けた。

その時、加藤義一郎は次のメモを書き残している。

「王仁師手造り『天国廿八』『御遊』の二盌をみせられておどろく。その色彩とリッチさ、茶盌の姿、芸と品格、天才」

このあと、“これこそ明日の茶盌”と評して「耀盌(ようわん)」と命名。「耀盌顕現」という短文で『日本美術工芸』誌に発表し、日本美術界にセンセーションを呼び起こした。その後、日本各地で展覧会が開催され、大きな反響を呼ぶ。

昭和47年(1972)、耀盌は欧米に渡った。パリのセルヌスキ美術館を皮切りに、3年3カ月にわたり、6カ国13会場で行われた「大本海外作品展 ―出口王仁三郎とその一門の芸術」である。この展覧会では、約25万人が大本の美に触れ、色彩豊かな耀盌の耀きに魅せられた。

「偉大な力が純化されて、その神髄の魂だけが神秘の夢の中にとけ合っているような自然感。
  “神技”という言葉が当てはまる例――」

白畑よし(美術史家)


別種の感銘“一種の自然さ”


「至誠」出口王仁三郎作「至誠」 書 軸 66.5×134(㎝)『至誠』という大きな二字を書いた王仁三郎先生の書幅(左)に、これまで私の見た昔からのいろいろな書家、文人、禅僧などの書に接したときの経験と何か違った別種の感銘を深く受けた。

澎湃とした力がいっぱいに溢れているのに、覇気とか見てくれの感じとかのどこにもない一種の自然さがあった。

――私はその書をジッと見ているうちに、自分の気持ちが、大きな山か、ひろい海か、何かそういう自然の懐に抱かれているときと同じような暢々した思いに充ちていることを感じた。

しかもそれは少しも私の気持ちを威圧しない。

【白畑よし(美術史家)】


現代では見られない〝格調の高さ〟


「みちのくの滝」出口王仁三郎作「みちのくの滝」  水墨画 軸 155×70(㎝)この水墨作品(『みちのくの滝』・左)は、どこがいいとか面白いとかいうこれまでの古画などに対して用いられる批判めいた言葉を一切超越したような佳さなのである。

二筋の水が一流の瀑布となって手前の黒々とした樹木の向こうに落ちている。

もちろん少しも技巧を弄んだ絵ではないのにかかわらず、片寄った動きのある構図にも、単純に白く抜いた滝水の表現の巧まずして出ている豊かな水量の描写にも、山腹や樹木の簡素な墨書の手法のうちにおのずからあらわれている複雑な階調にも、現代の水墨専門の画家の作品などには到底見られない格調の高さがある。

足利期の水墨作品の最も優れた長所が現代のこういう作品に繋がっているのを、私は不思議な思いで眺めているのであった」

【今泉篤男(美術評論家)】