出口王仁三郎によって「天国二十八」と名付けられた茶盌(ちゃわん)は、王仁三郎の長女・直日(なおひ)(大本三代教主)から金重陶陽(かねしげとうよう)(備前焼・人間国宝)の元に渡った。

 陶陽は荒川豊蔵(とよぞう)、加藤唐九郎(とうくろう)など国内を代表する陶芸家と親交を持ち、家にはイサム・ノグチほか多くの芸術家、評論家が足を運んだ。「日本美術工芸」誌の発刊責任者であり美術評論家でもあった加藤義一郎(ぎいちろう)もその一人。加藤は生涯を日本の陶器を育てることに捧(ささ)げた人物である。

 陶陽宅で加藤は王仁三郎の茶盌二点「天国二十八」「御遊(ぎょゆう)」を初見。名品と呼ばれるものはすべて見尽くしてきた加藤にとっても、それは衝撃であった。

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耀盌・銘「御遊」
「天国二十八」と共に加藤義一郎の目を引きつけた一点
加藤により王仁三郎の楽茶盌は「耀盌」と名付けられ、広く世に出ることとなった



 「質はらくやきである。形は十全具備の茶盌で作は光悦と宗全に優(まさ)るとも劣らない。絵は南欧の陽光の下に生まれた後期印象派の点描を偲ばせ、ルリ・緑青・黄土・エンジ等みな日本離れしたさえにかがやく。殊に刷き上げるエンジの色は妙に美しい。もしこんな茶盌を見たといったら人は信ずるだろうか」

 その感動は「日本美術工芸」誌に詳しく紹介され、加藤によって王仁三郎の茶盌(昭和19年以降のもの)は「耀盌(ようわん)」と名付けられた。「美盌・秀盌・麗盌ではあきたらない。もっと真底(しんそこ)からの輝きが名にもほしい」と辞書と首っ引きで加藤が考えたのが前記の名である。「耀」とは星の光を意味する。

 その後、国内各地での作品展を通し耀盌は多くの人の注目を集めた。

 棟方志功(版画家)も耀盌に魅せられた一人。次のような短歌を残している。

 きみの御手土をこねまた水をひき生まれしたふ(尊)とこの玉の盌

 きみを拝しきみに伏すれどきみと会はずこの盌橋のありがたきかも

 棟方自身は、大本とは無縁の芸術家。耀盌を橋渡しとして面識のない「王仁三郎」の世界に触れた喜びが詠まれている。

 この後、各地で開かれた作品展は、また思いもしないものを引き出すこととなる。


(大本百二十年記念事業事務局主幹・田辺謙二)



当コンテンツは京都新聞で連載された
「大本」と芸術 開教120年に寄せて2011年12月1日朝刊分)からの転載です。


“出口すみ子の書 独習の仮名「霊筆」と絶賛
次週3月28日〔水〕に公開します







































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講 師  田辺謙二(大本120年史編纂室長)

たなべ けんじ:昭和29年岡山県生まれtanabekenji.jpg
昭和52年(1977)、大本梅松塾卒塾
大本編集部長、大本梅松塾長、
大本特派宣伝使を経て
現在は大本120年記念事業事務局主幹