耀盌(ようわん)と名付けられた出口王仁三郎の茶盌は世間の耳目を集めた。

 今度は耀盌の展示がきっかけとなり思わぬものが世に出ることになった。昭和24年10月、東京芝の美術倶楽部で開催された耀盌展会場での出来事。

 耀盌の横には王仁三郎の筆になる箱書きと共に、王仁三郎の妻・すみ子の筆による箱書きもあった。両者の箱書きに目を留めたのは稲垣黄鶴(こうかく)書道芸術院審査員、日本女流書道協会理事。十代にして御前揮毫(きごう)をするほどの力量の持ち主であった。職業柄、茶盌より先に箱書きに目がいった。

 王仁三郎の文字にも驚かされたが、稲垣にはすみ子の文字のほうがより強い衝撃を与えた。平仮名で書かれた「てんごく」の4文字がそれであった。

 明治16年生まれのすみ子は、貧しい家に育ち就学できず、独習して読み書きできるのは平仮名だけ。すみ子の字は、どれも一見、まるで子供が書きなぐったような字であった。

 稲垣は「既成の書法、理屈に当てはまらない書。あえて言葉にするなら霊筆とでも言うほかない。普通の人間では絶対に書けるものではない」と絶賛した。


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出口すみ子筆・自作短歌と自画像
「き(気)お(を)つよ(強)くひろ(広)くおほ(大)きくこま(細)やかに
あたた(温)かみあるひと(人)になりたき」


 稲垣の目に止まった翌年、綾部のグンゼ本社にある「波多野記念館」で開催された大本の作品展に谷川徹三が訪れた。谷川は後に法政大学総長に就任、日本を代表する哲学者であると同時に帝室博物館(現東京国立博物館)次長、日本芸術院会員として美術にも深く携わった人物だ。

 谷川は前年、東京で開催された王仁三郎の耀盌展の機会を逸したことによる綾部・亀岡来訪であった。作品展会場から大本の綾部本部に戻ってさらに多くの作品に触れた。

 すみ子の作品を前にして谷川の足は止まり動かなかくなった。「すみ子刀自(とじ)の書といい、画といい、あの耀盌以上に素晴らしい。日本の書道史の上から見ても第一級」と折り紙をつけた。

 谷川は、すみ子に対し、弘法大師、良寛の書を引き合いに出し「あなたの書はこれらの人の書に勝るとも劣りません」と話している。


(大本百二十年記念事業事務局主幹・田辺謙二)



当コンテンツは京都新聞で連載された
「大本」と芸術 開教120年に寄せて2011年12月8日朝刊分)からの転載です。


“すみ子の手紙 北大路魯山人が豪華に表装
次週4月4日〔水〕に公開します







































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講 師  田辺謙二(大本120年史編纂室長)

たなべ けんじ:昭和29年岡山県生まれtanabekenji.jpg
昭和52年(1977)、大本梅松塾卒塾
大本編集部長、大本梅松塾長、
大本特派宣伝使を経て
現在は大本120年記念事業事務局主幹