出口王仁三郎の書画、茶盌(わん)から始まる出口一門の作品の特徴のひとつは、一般の作家と違い、最初から美術品、芸術作品として人々に真価を問うために作ったものではないという点だ。売買を目的としていないことは、言うまでもない。

 信徒に乞(こ)われるままに記念の品として与えることが大半で、王仁三郎、すみ子は、訪れた信徒宅で何十点、時には何百点もの書をしたためることもめずらしくなかった。

 直日自身は自ら焼いた陶器を茶室で使うことが喜びでもあった。茶室に限らず、食器として皿、小鉢など日々の食膳に供された。あくまでも使うことを目的として作ったものであり、いずれも飾ることを前提とした品ではなかった。

 熱心に茶道に取り組む信徒がいれば、励ましも込めて惜しげもなく与えた。それは出口の家の特徴でもあった。それを裏付ける直日の言葉がある。それは王仁三郎と耀盌(ようわん)について次のように。

 「私たちの家のくせで、いいとおもうものから先にあげるでしょう。初めのころに(王仁三郎が)あげた方には、いいのがいってます」

 「芸術は宗教の母」と芸術を位置づけながら同時に「芸術と宗教の一致」を目指し、さらに「信仰即生活即芸術」を説き、芸術が日常生活と一体となったあり方を理想とした。

 その具体的実践のひとつが「茶道」。直日は若いころから茶道に精進し、自らも多くの人を育て導いてきた。綾部、亀岡の聖地にはそれぞれ本格的な茶室が建てられ、大本の中でお茶は非日常の出来事ではない。

 毎月亀岡・天恩郷では6日、19日、31日、月釜が掛けられ、信徒・一般に関係なく、誰でも気軽に入席できる。茶席の床には王仁三郎、すみ子の書などが掛けられ、お点前には直日の茶盌、水指が登場する。金重陶陽(かねしげとうよう)、石黒宗麿(むねまろ)など人間国宝の陶器も、普通に使われる。


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大本本部(亀岡)・万祥軒での元旦の初釜お床に掛けられた王仁三郎の書「光」と蓬莱山飾り


(大本百二十年記念事業事務局主幹・田辺謙二)



当コンテンツは京都新聞で連載された
「大本」と芸術 開教120年に寄せて2012年2月2日朝刊分)からの転載です。


“一門の品々 海を渡る パリで展覧会 開催決定
次週5月9日〔水〕に公開します







































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講 師  田辺謙二(大本120年史編纂室長)

たなべ けんじ:昭和29年岡山県生まれtanabekenji.jpg
昭和52年(1977)、大本梅松塾卒塾
大本編集部長、大本梅松塾長、
大本特派宣伝使を経て
現在は大本120年記念事業事務局主幹