夢は現実となり、大本の作品群は海を渡りパリに到着した。作品展の名称は「出口王仁三郎およびその一門の芸術展」。会場はセルヌスキ美術館。

 主催はパリ市と同美術館、後援はフランス文化省と日本外務省。駐仏日本大使館と日本航空の協賛となった。パリ市、フランス文化省の了解を得るには大本の自力だけでは難しく、成立の背景にはセルヌスキ美術館のヴァディム・エリセエフ館長の関係当局への働きかけがあった。

 「今日の世界において他に類を見ない精神的に高い次元の芸術」と一連の作品を評価する館長の情熱と関係者の努力が、展覧会開催に向け、見事な環境を整えた。開催期間は当初6週間の予定であったが、打ち合わせの段階で延長が決まり、2カ月間と決定した。

 果たしてエリセエフ館長の評価通りの結果が得られるのか。関係者は一抹の不安と期待を交錯させながら、作品展初日を迎えた。

 初日、一般公開の時間はわずか4時間だったが、約千人が入場。関係者一同を安心させた。館長の読み通りの作品展となった。



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王仁三郎作の耀盌に見入る人々。鮮やかな色彩が注目を集めた




 ル・モンド、フィガロをはじめとするフランス国内外の有力な新聞社、美術誌の記者、通信社特派員など期間中に160人が同展を取材し、各メディアを通して報道された。

 ル・モンドは、すみ子(二代教主)の墨絵「姫だるま」をカットに添えて次のように論評した。

 「茶道は厳格なものであり、使われる茶盌(わん)は簡素で飾り気のない色調を用いなければならないという固定観念がわれわれの頭の中にある。が、このほどセルヌスキ美術館で開催されている“野趣ゆたかな”茶盌を見て以来、われわれの考えは大きく変わった。それらの作品は、静寂ではあるが、一面華麗でもある。あたかも“ボナール”や“ルノワール”が描いた、感覚的な桜やバラのようにあざやかである」

 パリ市民の目をいちばん引いたのは、やはり王仁三郎作の耀盌(ようわん)であった。


(大本百二十年記念事業事務局主幹・田辺謙二)



当コンテンツは京都新聞で連載された
「大本」と芸術 開教120年に寄せて2012年2月16日朝刊分)からの転載です。


“パリの波紋 各国へ 作品展 開催要請相次ぐ
次週5月23日〔水〕に公開します







































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講 師  田辺謙二(大本120年史編纂室長)

たなべ けんじ:昭和29年岡山県生まれtanabekenji.jpg
昭和52年(1977)、大本梅松塾卒塾
大本編集部長、大本梅松塾長、
大本特派宣伝使を経て
現在は大本120年記念事業事務局主幹