パリでの作品展は、後に大きな波紋を巻き起こした。

 総勢1万1千人超が入館。開催したセルヌスキ美術館は、東洋美術展示においては、ギメ美術館と並びフランス国内屈指。過去において日本の作家では富岡鉄斎、雪舟、仙崖(せんがい)などの作品展を行っている。しかし、ヴァディム・エリセエフ館長は「今回ほどの盛り上がりと鑑賞者を深く感動させることはなかった」と激賞した。

 フランスのみならずヨーロッパ各国をはじめアメリカ、東洋の人々の目にも作品は触れた。その中には有力美術館の館長、美術関係者も多数いた。著名な美術関係者からも「ボナールやピカソ、ルノワールの作品を凌駕(りょうが)するもの」と高評価を得た。

 大本側にとってパリでの作品展は夢の実現であり、関係者の努力の末にたどり着いた終着点のはずだった。しかし、作品を目にした美術関係者から、「この芸術展をぜひ自国で開催したい」という声が相次いだ。大本にとっては予想だにしない展開となった。

 それらの要望に対して、セルヌスキ美術館長であるとともにヨーロッパ美術館長会議の議長でもあるエリセエフ氏の全面的な後押しがあった。

 各国の要望を受けて三代教主・直日は要請に応え、「ぜひとも進めるように」と開催に強い意志を表明した。パリでの展覧が終了した時点では、フランス国内の二つの美術館をはじめヨーロッパ5カ国の国立美術館から開催の要請が入っていた。海を越えた米国からの声も届いていた。大本は一切広報・宣伝をすることなくヨーロッパの美術関係者の「確かな目」が次々とつながり、太い線を結んでいった。

 日本で手続きと準備を終え、まずはフランス国内のブザンソン国立美術館、マルセイユ市立美術館の2カ所は期間も決定した。

 こうして「終着点」となるはずだったパリでの作品展は「始発点」となり、大きな波紋を広げていった。


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作品解説をするブザンソン国立美術館のクリスチャン・マロンデ館長(右)。
同美術館に初めて展示された日本からの作品は地元市民の注目を集めた


(大本百二十年記念事業事務局主幹・田辺謙二)



当コンテンツは京都新聞で連載された
「大本」と芸術 開教120年に寄せて2012年2月23日朝刊分)からの転載です。


“仏最古の美術館で 耀盌の故郷 亀岡、綾部へ
次週5月30日〔水〕に公開します







































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講 師  田辺謙二(大本120年史編纂室長)

たなべ けんじ:昭和29年岡山県生まれtanabekenji.jpg
昭和52年(1977)、大本梅松塾卒塾
大本編集部長、大本梅松塾長、
大本特派宣伝使を経て
現在は大本120年記念事業事務局主幹