パリに始まった作品展は同じフランス国内のブザンソン国立美術館に引き継がれ、昭和48年1月5日から2月11日まで開催された。

 同美術館はフランス国内最古で200年の歴史を持つ。ブザンソン市は20の美術館を持つ文化都市。美術館宣伝用の掲示板には、地元が生んだフランスを代表する写実主義の画家クールベと並び、耀盌(ようわん)のポスターが貼られた。

 同市で日本の作品が展示されるのは初めてのことで、地元の新聞は「清澄な朝、春探し、王仁三郎とともに日本がやってきた」と大きな見出しで同展を紹介した。

 同館のクリスチャン・マロンデ館長は、管下の小学校から全大学にいたるまで「日本の美術展を開くので全員見に来るように」と手紙を出し、来館を薦めた。そのため1日平均150人の学生・児童が団体で訪れ、館長自らが作品の解説をするほどの熱の入れようであった。


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ブザンソン市での作品展以降、各会場で開催された書道教室。
作品展示とともに特設のお茶席と書道教室は、どこの会場でも人気を集めた



 ここでもパリ同様の反響を呼び、期間中の入場者は8千人を超えた。その後、会場はマルセイユの市立考古学博物館、ニース市立マッセーナ美術館と場所を変えながら展覧を続けていった。各国の美術館からの要請は相次ぎ、次回開催場所の選定に苦慮するような状況になっていた。

 関係者は次回開催をスペインのプラド美術館からの強い要請を受け、話し合いを進めていたが、直前に劇的な政変発生により延期となった。

 参観者の中には「耀盌の故郷を自分の目で確かめたい」などと、作品が生まれた背景に興味を持つ人も少なくなかった。

 パリで作品を初見し「私はたちまちそこに展示された作品のとりこになってしまった」というブザンソン国立美術館長のマロンデ氏は昭和49年、44人の団体で亀岡、綾部の大本本部を訪問。能楽鑑賞、野点席での喫茶、陶芸場や機場の見学を通し「大本の芸術は、単に専門家の作品を鑑賞するだけのものでなく、このように、たえず創造がなされているところに意義がある」と、その活動を評価した。


(大本百二十年記念事業事務局主幹・田辺謙二)



当コンテンツは京都新聞で連載された
「大本」と芸術 開教120年に寄せて2012年3月1日朝刊分)からの転載です。


“英国 世界のひのき舞台 47日間 7万8000人が来場
次週6月6日〔水〕に公開します







































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講 師  田辺謙二(大本120年史編纂室長)

たなべ けんじ:昭和29年岡山県生まれtanabekenji.jpg
昭和52年(1977)、大本梅松塾卒塾
大本編集部長、大本梅松塾長、
大本特派宣伝使を経て
現在は大本120年記念事業事務局主幹