パリの大本作品展から40年の歳月が流れた。この間に三代・直日(なおひ)、四代・聖子(きよこ)は天界へ帰り、現在は五代(当代)・出口紅(くれない)の時代を迎えている。

 時は流れ世は移ったが、大本での「芸術」の萌芽(ほうが)は、この間も絶え間なく続いている。

 平成17年の王仁三郎生誕日、三代教主の時代に作られた「窯芸道場」は所を変え、綾部・梅松苑(ばいしょうえん)に移された。

 さらに翌年3月には「宗教即芸術即生活」の良きモデルとなることを念願し、当代教主の構想により「つる山みろく村」が綾部神苑(しんえん)の一角に〝開村〟された。その柱となるものは機織り、陶芸、菜園。教えの礎となる「火、水、土のご恩」の実践の場として、大切な意味を持つ。

 当連載では陶芸、書画を中心として紹介してきたが、まだ触れていないものが一点ある。それは「織物」。

 大本の中で機織りは特別な意味を持つ。開祖の糸引きに始まり二代、三代、四代、五代と「重要な神事」として継承され、守られてきている。芸術の枠で収めきれない深い意味を持ち、他と一線を画すのが機織りである。

 二代教主の時代に始められた織物は「鶴山織(つるやまおり)」と命名され、長い歴史を持つ。織りは古来より伝えられる手織機を使い、糸は植物を染料とする「草木染」という手法が用いられている。

 しかし、織りが確立するまでには、色止めの方法が分からないなど苦労もあった。試行を重ねる中、二代教主が啓示を受け、綾部境内地に湧いている鉱泉につけることで、色止めに成功するという逸話も残されている。

 現在、みろく村の一角では藍、ムラサキ、ベニバナなど染めの原料となる植物が育てられている。また当代教主により、三代教主によって発見されたコノハナザクラを使い、それまでにない色を作り出すなど、鶴山織は今も進化を続けている。

 乱れたる世界の糸をほどきつつ平和の機をわれはおりゆく

 生前、二代教主が詠んだ歌である。

 その心は、今も変わらず当代教主に継承されている。


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綾部・みろく村「おり工房」に設置された手織機。
この織機から当代教主の手により、草木染による美しい鶴山織が織られていく

(大本百二十年記念事業事務局主幹・田辺謙二)



当コンテンツは京都新聞で連載された
「大本」と芸術 開教120年に寄せて2012年3月22日朝刊分)からの転載です。


“善意と自然に育まれ 絶えず創造 美の系譜今へ
次週6月27日〔水〕に公開します







































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講 師  田辺謙二(大本120年史編纂室長)

たなべ けんじ:昭和29年岡山県生まれtanabekenji.jpg
昭和52年(1977)、大本梅松塾卒塾
大本編集部長、大本梅松塾長、
大本特派宣伝使を経て
現在は大本120年記念事業事務局主幹