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HOME > 芸術 > 京都新聞連載「『大本』と芸術」


出口一門の作品の中でも筆頭に挙げられるのは、王仁三郎がつくった楽茶盌(らくちゃわん)である。しかしそれらの茶盌が作品として認知されるまでには、かなりの年月を要した。

 王仁三郎が初めて作陶をしたのは大正15年。同年9月、奉納のため天恩郷(亀岡の境内地名称)を訪ねた三世・茂山千作師(狂言師・人間国宝)は、「父と大本を訪ね、その時に楽茶盌をいただいた。お会いした部屋にはたくさんの茶盌、墨絵などが展示されていた」と述懐している。

 昭和4年7月には天恩郷に王仁三郎専用の陶芸作業場と窯場を建設。しかしいずれの建物も同10年の宗教弾圧により完全に破壊され、全ての活動停止を余儀なくされた。

 茶盌づくりを再開したのは昭和19年12月末。近くに疎開してきた陶工・佐々木松楽(しょうらく)の家を連日のように訪ね、作陶を始めた。まるで地下のマグマが一気に大爆発し噴火するかのように全エネルギーを土塊に注いだ。

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楽茶盌を制作中の出口王仁三郎。
老いた身を案じる家族の心配をよそに、晩年、精魂を傾け茶盌づくりに力を注ぎ、
わずか1年余りの間に約3000個の茶盌、茶器を制作した




その様子を王仁三郎の娘婿(次女の夫)・出口乕雄(とらお)は次のように記す。

「一刀一礼の心を込め、おのが生命を吹きこむような茶盌づくりである。(中略)彼が茶盌の着色をするおり、いったん佳境にはいると、目にもとまらぬほどの早さで、絵具の色の見さかいもないような筆さばきで、緑をぬり、紅をぬり、黄をぬってゆく。ぬるというより色をうばって叩(たた)きつけるような激しさである。見ていると、どうなるものかと案じられるが、焼きあがってみると、色それぞれは澄み切って少しの混濁もなく輝いていた」

 楽焼という伝統的な形式をとっているが、出来上がったものは、それまでに誰も見たことのない鮮やかな色使いのものだった。

 こうして真とも偽とも見定めることのできない未知の茶盌ができあがった。この茶盌がひとつの起点となり、その後、国内外で予期せぬ展開が繰り広げられることになる。

(大本百二十年記念事業事務局主幹・田辺謙二)



当コンテンツは京都新聞で連載された
「大本」と芸術 開教120年に寄せて2011年11月10日朝刊分)からの転載です。


“茶盌「天国二十八」 陶芸家・金重陶陽を魅了
次週3月14日〔水〕に公開します

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講師:田辺 謙二 のプロフィールはこちら

講 師  田辺謙二(大本120年史編纂室長)

たなべ けんじ:昭和29年岡山県生まれtanabekenji.jpg
昭和52年(1977)、大本梅松塾卒塾
大本編集部長、大本梅松塾長、
大本特派宣伝使を経て
現在は大本120年記念事業事務局主幹