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出口王仁三郎の耀盌(ようわん)

この耀盌は、天国で嬉々として生活を楽しんでいる人々の感情を、赤裸々に発露している。
敗戦の最中にいて、悠然たる心のゆとりを持ち、平然として天国に遊びに行ける人は、日本の明るい将来の見通しを霊感によって察知した人である――

磯野風船子(陶芸評論家)

耀盌(ようわん)

口王仁三郎による楽茶盌は第二次大本事件(1935‐1945)をはさみ、前期・後期の2期に分けられる。

前期は大正15年(1926)2月、54歳のときに、後期は昭和19年(1944)12月末、73歳のときにそれぞれ始められた。特に後期の楽茶盌は1年余りの作陶で3,000点余を制作。

王仁三郎が昇天した翌昭和24年3月、陶芸評論家の加藤義一郎が「耀盌顕現」と題して発表(「日本美術工芸」誌)、一躍、脚光を浴びた。国内だけでなく欧米の美術館でも数多く展覧されている。

「天国廿八」と「御遊」

和24年ごろ、陶芸家・金重陶陽と素山が出口王仁三郎の長女・直日を訪ねた折、初めて目にした耀盌約50盌の中から、直日に促されるままに選んだ盌が上の「天国廿八」と「御遊」だった。

陶芸評論家・加藤義一郎は、陶陽宅でこの茶盌を初見し、「形は十全具備、作は光悦、宗全に優るとも劣らない、絵は南欧の陽光のもとに生まれた後期印象派の点描を偲ばせるかがやき」と驚倒、王仁三郎の楽茶盌を“耀盌”と命名した。

耀盌「天国廿八」出口王仁三郎作  耀盌「天国廿八(てんごくにじゅうはち)」

耀盌「御  遊」出口王仁三郎作  耀盌「御遊(ぎょゆう)」

「前期楽焼」と「後期楽焼」

聖師 素焼きにご染筆中 昭和7年7月1日号瑞祥新聞に掲載.jpg

昭和7年(1932)6月ごろ
素焼きに染筆中の王仁三郎

前期楽焼(戦前)
制作期間 約10年間
始まり 大正15年(1926)2月(54歳)
終わり 昭和10年(1935)ごろ(63歳)
製作数
絵付けも含めて
約5〜6万点を制作 

聖師 耀わん(楽焼)制作中 昭和20年夏頃 修正01.jpg

昭和20年(1945)夏ごろ
耀盌制作中の王仁三郎

後期 楽焼(戦後)=のちに「耀盌」と呼称
制作期間 1年3カ月間
始まり 昭和19年(1946)12月末(73歳)
終わり 昭和21年(1946) 3月末(74歳)
製作数
耀盌以外の作品(水指など)を含めて約5千点を制作 

表面一帯を覆う無数の穴

弥生(出口文営氏)【補正01】.jpg

小さな穴は、この手法のために特別に作ったササラ様のもので(下に同様の写真)、一念一突、王仁三郎が平和を祈念し「かんながらたまちはえませ」の言霊をこめながら打たれた。

「簓」(ささら)

「簓」(ささら)


竹の先を細かく割って束ねたもので、長さ30㎝くらい。

かつては民俗芸能の楽器の一種であったり、洗浄器具としてタワシの用もになっていたこともあった。


「父(王仁三郎)の耀盌は、陶車によらず手造りで、父の全霊を指先に集中して、一指、一指から、土の一塊一塊に念力を移しつつ、その一瞬一瞬に、地の上に神の国をさだめまつる祈りをこめて、たんねんに形造ったものです。

盌体の持つ豊かな広がり、神界の輝きそのままの色彩、天象の紋理をひめたこまやかな刺孔(簓であけられた穴)、たしかに父の祈りは生き生きとしています」

【出口直日(談)】