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「一つの世界」実現のために(エスペラント活動)

大正十二年(一九二三)、聖師は国際語エスペラントを学習するようにと側近の加藤明子に命じました。
戸惑っている加藤のもとへ、たまたま京大在学の高見元男(出口日出麿尊師)から送付されてきた新聞のきりぬきによって、京都同志社大学でエスペラントの講習会が開かれていることを知り、加藤は受講しました。

それ以後、大本ではエスペラントを積極的に採用することになり、エスペラント研究会(現在のエスペラント普及会)が設立されます。

当時、聖師はエスペラントに関する次のような講演をしています。

「開祖の筆先にいろは四十八文字で世界を統一するという意味があります。神さまは予言者の智性意志、記憶を基礎として神意を洩らされるものであるから、かくお示しになったのであります。今後の大本の使命はめいめいに手分けして神の国の福音をあまねく宣べ伝えることです。ついては今日のように世界各国の言葉が分かれていては至難なことです。けれども世界共通語のエスペラントは僅か二十八文字で通用し世界へ行き渡っているから、この語を研究して神意を世界へ宣伝するというのは神意に叶ったことであります」

大正十四年には、「ラ・ヴェルダ・モンド」(緑の世界)がエスペラント普及会から発行され、各地で講習会が催され、大本の分所や支部に百有余のエスペラント普及会支部が設置されるにいたりました。

昭和十年の第二次大本事件から十年間の中断の時期がありましたが、エスペラント普及活動は、昭和二十一年愛善苑として教団が新発足するとともに復活します。

その後は、以前にもまして大本におけるエスペラント運動は盛んになりました。

昭和三十八年(一九六三)にエスペラント普及会設立四十周年を迎え、大本会館北庭の一画に記念碑が建立されました。
碑面は「Unu Dio, Unu Mondo, Unu Interlingvo」( 一つの神、一つの世界、一つの仲介言語)と刻まれています。

三代教主は、「エスペラントは運動というよりも、万国共通のエスペラント語を身につけることで、平和な世界の人にならしていただくのです。
エスペラントは政治、宗教、民族の境を越えて世界を一つにしてくれるもので、右にも左にも共通する立場のものです。
平和のために、これほど具体的で公平に働きかけるものはありません」と、また「世界平和をきづき上げるには、各自に心の平和をきづくことがもっとも大きな要因となります。
それと共に、私たちお互いが努力しただけは報われる具体的な方法として、今日の世界平和を阻害している言語障害をとりのぞくエスペラント運動の重要性を、私はいま身に沁みて感じています」とお述べになり、語学の上手下手にかかわらず、少しずつでも身につける努力をするようにと勧められました。

平成十五年は大本が主催して「第九十回日本エスペラント大会」を亀岡市で開き、国内外から千人を超える参加者がありました。

教主は、平成十六年(二〇〇四)の新春インタビューの中で、エスペラントの実用について「…エスペラントを仲介の言葉として、亀岡本部と南米本部がお互いに連絡を取り合う、一つのケースとして、最初はうまくいかないかも知れませんが、これが機能し始めると、エスペラントの持つ意味が充分発揮され、やがては海外宣教のよい型となるのではないでしょうか」と語りました。

教主はみずからエスペラントを学習し、大祭時など機会あるごとにエスペラントで挨拶し、信徒に範を示しています。

この年(二〇〇四)、EU(欧州連合)の議会では、エスペラントを議会の公用語に採用するかどうかの投票で、反対派が百六十人に対し賛成派は百二十人(四十三%)に迫り、中立の共通言語としてエスペラントが公用語に採用されることも夢でなくなりつつあります。

大本とエスペラント普及会は、言語の障壁を取り除き、世界の平和と人類の和解を促進するため、各国語の尊重とともに、世界共通語エスペラントの国際的実用化をめざして活動を進めます。




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