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大本の教祖


出口なお開祖、出口王仁三郎(おにさぶろう)聖師によって開教した大本には、二人の「教祖」がいます。

出口なお開祖

≪出生と昇天≫出口直開祖様    出口なお開祖
天保7年旧12月(1837年1月)現在の京都府福知山市で出生。大正7年11月6日、81歳で昇天。

≪幼少時代≫
貧困家庭のため寺小屋に通う機会もなかった。
19歳の時、綾部市に住む叔母出口ゆりの養女となり結婚。夫のもとで8人の子女に恵まれその養育に苦労する。

≪神がかりの始まり≫
大工の夫・政五郎の病気そして昇天の後、56歳(明治25年・1892年)の節分の夜、にわかに神感状態となる。本人の意思とは異なる別な力がこみ上げ、威厳に満ちた言葉が口から出る。

≪「筆先」の始まり≫
やがて「筆を持て」と言う神のお告げを受けて、開祖の手が自然に動き〈自動書記的に〉、和紙に文字を書き始める。昇天までの27年間に半紙約20万枚に達する。

≪大本神諭≫
“ひらかな”で記された筆先に出口王仁三郎が漢字を当て、まとめた大本の根本教典。

その内容は、大本出現の由来、神と人との関係、現実社会の批判、日本民族の使命、人類の将来に対する予言・警告を通して、「三千世界の立替え立直し」を断行し、永遠に変わらない地上天国「みろくの世」の到来が啓示されている。


出口王仁三郎聖師


出口王仁三郎聖師   出口王仁三郎聖師≪出生と昇天≫
明治4年(1871)、京都府亀岡市で出生。昭和23(1948)年1月19日、78歳で昇天。

≪幼少時代≫
神童・八ツ耳と言われるほど特別な霊能力を持つ。〈幼名・上田喜三郎〉。小作農の家庭に生まれ小学校を中退。農業のかたわら書生やラムネ製造、牛飼いなど辛酸をなめる。

≪高熊山での修行≫
明治31年(1898)旧2月、郷里の霊山・高熊山にて1週間の霊的修行を行う。霊界の秘奥をきわめ、天眼通、天耳通、天言通、宿命通、自他心通などの高度な霊能力を体得。救世の大使命を自覚。

≪開祖との出会い≫
「西北の方角をさして行け」との神示を受け、綾部の大本開祖を訪ねる。明治32年から開祖と力を合わせて神業を推進。やがて開祖の末子・すみこ(後の二代教主)と結婚。後に開祖とともに大本の教祖として大本の教えを説く。

≪霊界物語の口述≫
大正10年(1921)に出口王仁三郎は、人類の危機を救い、思想の混乱を正し、宗教・科学を真に生かし、人間の霊魂を改造すべく、永遠にわたる人類の指導書として81巻にわたる「霊界物語」を口述。

霊界物語は開祖の筆先の真意を解きあかし、天地創造に始まる地上霊界の歴史を述べた、地上天国建設の設計書。

≪万教同根と宗際化≫
大正12年(1923)、国際語エスペラントを導入。同14年(1925)、北京において世界宗教連合会を発足。続いて人種・民族・宗教等あらゆる有形無形の障壁を越えて、人類の大和合を唱導するため人類愛善会を創立。ベトナムのカオダイ教やドイツの白色旗団、ブルガリアの白色連盟等、広く世界の新精神運動と提携した。今日に至る宗教協力活動の礎を築く。

≪芸術と耀盌(ようわん)
王仁三郎は「芸術は宗教の母なり、芸術は宗教を生む」と主張し、「洪大無辺の大宇宙を創造したる神は大芸術家でなければならぬ。天地創造の原動力、これ大芸術の萌芽である」とのべた。さらに芸術と宗教の一体を説くとともに、自ら、自然を愛し芸術に親しんだ。文筆、書画、陶芸、詩・歌など、多方面にわたる膨大な数の芸術作品を残した。

それら作品の中で、もっともつよく人々を驚かせたのは、晩年に全精力を注いだ手造りの楽茶わん3000個であった。フランス油絵のような鮮やかな色彩美により、昭和24年(1949)「耀わん」と名づけられた。のちに耀わんをはじめとする作品は、欧米6カ国13都市における海外芸術展「王仁三郎とその一門の芸術展」で展示され、大きな反響をよんだ。

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