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HOME > 教え > 暁の大地・もくじ > 第46回・宗教と芸術



「そうよ、大地君。きれいなものは天国に相応しているからね。美しいものから神さまを感じることができるのよ」
 恵子の言葉に、高村と音江も頷いた。

「大地君、〝美〟と聞いて何を連想するかなあ?」

 高村が尋ねた。

「〝美〟ですか? そうですね、美術品とか美術館、ン〜、芸術かなあ〜?」

 大地が少し首をひねりながら独り言のように言った。

「そうだね、芸術を連想するよね。実は、大本の教えの中で、特徴的なものの一に、〝芸術は宗教の母〟という教えがあるんだ」

「えっ、宗教が芸術の母というんじゃなくて、その反対ですか?」

「そう、芸術が宗教の母ということなんだよ」

「そうなんですか?」

「もっとも、単なる芸術品や美術品が宗教を生んだというのではなくて、もっと大きな意味で示されたことなんだよ」

「というと?」

「聖師さまはこの大宇宙そのものが神さまの大芸術であり、私たちのまわりにある自然の造形も、神さまが作られ

た芸術作品だとおっしゃっているんだよ」

「なるほど、確かに日本の自然の中にある美しい風景やそれを形作る自然を見たときに、〝芸術だなあ〟と思うこ

とがありますね」

 大地は頷きながら言った。

「信州のアルプス連峰や上高地だってそうだし、ここの松代にある皆神山だって人間が作れるものじゃないわよね」

 恵子が口を挟むと、音江も続いた。

「長野には、きれいな風景はたくさんあるねえ。でも、それを当たり前だと思っていたら、神さまのことを感じる

こともないのかもしれないねぇ」

「町村さんがおっしゃるように、きれいな風景を前にしたときに、どう心を向けるかということが肝心だと思う

ね。昔テレビCMでフィルムメーカーのコマーシャルがあって、〝旅の思い出を、心のフィルムに残してくださ

い〟というコピーがあったけど、あれはなかなかの名言だと思ったね。今は、誰でも携帯カメラで簡単に写真が撮

れるけど、美しい風景に出合ったとき、素晴らしい芸術作品を目の前にした時、カシャッと写真を撮るんじゃなく

て、そこから何を感じるかという感性が必要だと思うんだよ。美しいものをたくさん見ただけで、神さまのみ心を

知ることができるんじゃなくて、どういう心で見、どう感じるかが大切だと思うね」

「目の前にあっても、気づかない人は気づかないということですか?」

「その通りだよ。見ようとしなかったり、感じようとしないと、自分の目の前にあるのに、目に入らないんだ。例

えば、探し物が目の前のテーブルの上にあるのに、その周りばかり探して、しばらく見つからなかった、なんてい

うことはないかなあ?」

 高村が尋ねた。




「あるある、ねえ、おばあちゃん」

「ええ、しょっちゅうだよ」

 恵子と音江が言った。

「たまにありますね」

「大地君はまだ若いからないでしょ」

 恵子の言葉に、笑いながら高村が話を続けた。

「それと同じことが芸術と宗教の関係にもあるんだよ」

「そうなんですか?」

「聖師さまは、美は神さまの〝姿〟で、宗教は、神さまの〝心〟だと示されていてね。神さまのお姿だけを求め

て、その根元にある神さまの心を見ようとしなければ、いつまでたっても、感じることができないということなん

だ。そうそう、この『信仰叢話』の中に、確かお示しがあったなあ」

 そう言いながら、高村は大地の前に置いていた『信仰叢話』を手に取り、ページをめくってから大地の前にもど

した。

「さっき読んでもらった〝神に通ずる三つの門戸〟の続きの最後の部分、ここね」

 大地は、『信仰叢話』を取り上げ、高村が指さしたところから声に出して読んだ。




『われわれが信仰と同時に芸術方面を奨励しているのは、いわれがあり、必要があり、わけがあるのであります。

芸術的な気持ちのある人は、簡単な酔生夢死の生活でなしに、非常に味わいあり、うるおいある生活ができ、世界

を非常に広く旅行し、奥ふかく世界を領有したことになる。趣味のゆたかな人、美を感ずることの多い人は、そう

いう境地に居住し得る。また神さまの神秘とか、世の中の微妙なこととかを、美によって本能的に経験的に、すぐ

自分が体得し得るようになる。

 神さまのおことばの中に、

「真の生活は左右の両手に宗教と芸術とをにぎって、あくまでも世間的生涯、すなわち職業を芸術的に生かすため

に信仰をすすめ、楽しく、おもしろく、この世の旅をせざれば人間として生きがいなし」

と申されているのであります。

 信仰的な方面を説く教はあるのでありますが、そればかりでは楽しみがない、ゆとりがない。カンカンになって

一生懸命になるばかりではいけない。そこに生活に興味を覚えさし、うるおいを与えるものがなければならぬ。

 信仰を一面やるとともに、また一面に、芸術的な余裕ある生活を営むことが大切であります』




「なるほど、人生を楽しく送るためには、芸術と信仰が必要だということですね」

大地が言った。

「芸術だけでもダメ、宗教だけでもダメ、両方が必要ということなんですね」

 恵子も感心した表情で言った。

「食事に例えると、宗教が主食のご飯だとすると、芸術は副食のおかずのようなものですね。どちらか一つでは続

かないでしょ。両方のバランスが大切ということでしょうね」

 高村が言った。


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「なるほど、確かにそうなんでしょうね。でもね先生、芸術的なことって主婦はなかなか忙しくて……」

「恵子さんもうちでお茶の稽古をしたらいいのよ」

 音江が恵子に向かって言った。

「あら、やぶ蛇になっちゃったみたい」

 恵子が気まずそうに言った。

「そういえば、町村さんはお茶を教えておられるんですよね」

「今はホントに細々とお稽古しているだけなんですよ。恵子さんは、たま〜にしか顔出さないからね」

「すみません。ねえ、先生、話題変えましょ」




 三人の会話を聞きながら、『信仰叢話』に目をやっていた大地が言葉を挟んだ。

「前のページにこんな文章がありますよ」

 と言いながら、大地はまた『信仰叢話』を読み始めた。




『いつも申しますように、天地自然が絶大なる芸術品であり、毎日が芸術の展覧会である。すなわち、神さまご自

身が最大の芸術家であらせられるのであります。金がなければできぬとか、暇がなければできぬというようなもの

でない。多忙の中に芸術が織りこまれ、またそれ相応な余裕において芸術が解し得られる。

 何もむずかしい道理や余計な金のいるような芸術に凝らなくても、そのへんの調度品、あり合わせのものを如何

にうまく活かして使うか、美しく調和させるか、いかに自然、人事の風雅、景致を感受し観賞、享楽するかという

ところに芸術はあるのであります。

 芸術的な人は、必ずものの調和ということに敏感である。話が宙に飛びますが、天国の美わしいのは調和がある

からでして、みながチャンとおくところに置かれている、使うところに使われている。不自然がない。美というも

のは一つ一つの美よりは、いろいろなものがたくさん集まって、それが調和しているときの総和の美の方が、より

価値が多いのであります』

「…なんだって、恵子おばさ〜ん」

 大地は、視線を『信仰叢話』から恵子の方に移しながら言った。

「もう大地君、どっちの味方?」

「大地君、一本! だね」

 高村が言った。四人とも笑顔になっていた。

(続く)




※「みろくのよ」誌・平成25年10月号から転載

第47回「清らかな遊び」は
12月上旬に公開します




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この連載は、大本の教えをドラマ風に書き下ろしたもので、
登場人物は実在の人物ではありません。













































































▼次回更新予定

脚本担当:成尾 陽のプロフィールはこちら

成尾 陽(大本メディア愛善宣教課長)

なるお あきら:昭和34年熊本県生まれ成尾総務2.jpg
昭和55年、大本梅松塾を経て大本本部に奉職
特派宣伝使、大本青年部長などを歴任
ITVA-日本(国際企業映像協会)関西支部長
亀岡市立つつじヶ丘小学校PTA会長など(平成16年度)もつとめる。
現在、大本愛善宣教部メディア愛善宣教課長