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大本神諭


明治二十五年、開祖は神がかりしたのち、大正七年、八十一歳で昇天するまでの二十七年間に、半紙約一万巻二十万枚のお筆先を書きました。
開祖のお筆先に、出口王仁三郎聖師が漢字をあて、句読点を付け、読みやすくして発表されたものが「大本神諭」で、経(たて)の神諭とも言います。
大本神諭の内容は、世の立替え立直しについての予言、警告、神の経綸、神と人との関係、人の踏むべき道など多岐にわたり、平俗、素朴な言葉をもってつづられたお諭しです。

神の意志を伝達

聖師は帰神の実際について、次のように説いています。

「大神が、予言者と物語りたまふ時は、太古すなはち神代の人間におけるがごとく、その内分に流入して、これと語りたまふことはない。大神は先づ、おのが化相をもつて精霊を充たし、この充たされた精霊を予言者の体に遣(つか)はしたまふのである。ゆゑにこの精霊は、大神の霊徳に充ちて、その言葉を予言者に伝ふるものである」(『霊界物語』第四十八巻第一章「聖言」から)

開祖は、大神の直接内流によって、神の意志を伝えること、および自分の精霊が神格に充たされて、万民のために伝達の役を務めていることをよく承知していました。

お筆先は、国祖・国常立尊が厳霊と顕現し、稚姫君命(わかひめぎみのみこと)と国武彦命(くにたけひこのみこと)等の精霊にその神格を充たし、そうして天国の団体に籍を有する予言者である開祖の肉体に帰神して大神の直々のみ教えを伝達されたものです。

お筆先は神の言葉

聖師は『神霊界』誌の「神諭我観」の中に、次のように説いています。(要旨)

◇神諭の文中にもこのお筆先は神の言葉であるから、その人々の心だけしか受け取れないから、十分に霊魂を研いて神心にならないと真実が分かりません。また神諭は天地の初発より数万年後のことまで、いわゆる過去、現在、未来にわたる事柄が書いてありますから、容易に見当のとれないものです。予言的な言葉もあり、警告的な諭しもあります。

◇大本の神諭は深遠で、到底人間心では分かるものでないと思いますから、半可通な解釈はかえって神さまのお道に害になります。
例えば、『元の昔にかえすぞよ』との言葉も世界太初の未開不便な時世にかえされる意義でありません。元の昔にかえすということは、日本建国のご精神を完全にご実行あそばす意味です。
また『アヤベみやこと致すぞよ』と出ているのも、抽象的の意義を発表されたので、決して帝都の意味ではなく、神の都に幾年かの末にするという御神慮であろうと思われます。

神諭拝読の心得

神諭の一言一句には無辺無量の密意があるとして、聖師はその理解のしかたを誤らないよう、繰り返し注意の言葉を述べています。それを要約したものを示します。

◇三千年と五十一年、三、四などの数字に囚われてはなりません。五十一年の五は、厳の意味であり、十は水火、または神の意、一年は始めの年の意味です。要するに、三千年(無限の年数)の間の、大神のご艱苦が出現して神徳の発揮される最初の年が、明治二十五年からという意義です。
大本神諭の解釈は人智をもって判断することはできません。ただ単に文句のまま素直に読むのが第一安全であります。

◇神諭は一文一句のうちにも、神霊的、神界的の内義を包含されています。ゆえに神諭は、普通の知識や学問の力では、とうてい真解されるものではありません。
たとえ神諭に天地が覆(くつがえ)ると示してあっても、泥海になるとあっても、人間が三分になると示されてあっても、目眩(めまい)が来るとあっても、決してこれを文字そのままに解すべきものでありません。すべて内義的、神界的、心霊的に解すべきです。そうでなくては、かえって天下に多大な害毒を流布し、神慮を悩ませ奉ることになります。

◇神さまは愚かなもの、弱きもの、小さきものをして誠の道を悟らしてくださるのです。決して研究的態度をとるような慢心者には、密意はお示しになりません。学問は中有界や地獄界では一文の価値もありません。

◇神諭はなかなかご神意がとり難いから、神様の前で、お経を読むような考えで拝読したらよいのです。

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