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HOME > WEB講話 > この世で学ぶ『あの世』の話



人は死んだらいったいどうなる? 

霊界は本当にある? 

それはどんな世界? 

人は何のために生きるの? 

9月18日に京都府亀岡市の

「ガレリア亀岡」で行われた“大本紹介講座

田辺謙二講師がさまざまな事例を紹介しながら

大本の教えを分かりやすく話しました。














講師:田辺 謙二 のプロフィールはこちら

講 師  田辺謙二(大本120年史編纂室長)

たなべ けんじ:昭和29年岡山県生まれtanabekenji.jpg
昭和52年(1977)、大本梅松塾卒塾
大本編集部長、大本梅松塾長、
大本特派宣伝使を経て
現在は大本120年記念事業事務局主幹

霊界の存在


宗教や思想、これらを第三者から強要されることくらい苦痛はありません。今日のお話は、あくまで大本では、このように教えられています。こう考えていますということであり、多くの方に決して押しつけるものではありません。

ご自身の中でなるほどと思える部分があれば受け入れていただけば結構ですし、解らないこと、受け入れられないことは、そのままお持ちいただけば結構です。こんな見方もあるのかと気軽に耳を傾けていただければと思います。

はじめに数字を書かせていただきます。「67」と「12」。

死後の世界を信じる割合


これは何の数字かというと、「67」は、アメリカにおいて死後の世界は存在すると考える人の割合・パーセンテージ、「12」は日本において死後の世界はあると考える人の割合です。アメリカのデータを出したのはギャラップ社、大統領選の時に必ず出てくる世界的な調査会社です。日本の数字は統計数理研究所。これも信頼できる機関です。

アメリカでは、これ以外にも数字を出しており、科学者を対象として同じ質問をしています。その数字は16%でした。

一般の日本人よりもアメリカの科学者のほうが死後の世界を信じる人が多いということです。いかに、日本人の中に、死後の世界を信じている人が少ないかということが分かると思います。

私のよく知っている方で、もう亡くなられた方ですが、その方の青年時代の出来事についてお話させていただきます。

この方は、ご自身の父親が比較的若くして亡くなりました。その時、〝今、父親はどうなったのだろう〟と考えました。

しかしいくら考えても、亡くなったということが、自身の中で理解・整理できなかったのです。父親が本当にこの地上、宇宙から消えてしまったのか。それを誰かに尋ねたいと思っているとき、仏教の高僧が講演に来られました。

この高僧は、“勧学(かんがく)”という、仏教の宗派の教義の最高権威者の肩書きを持つ方でした。知識は勿論ですが、社会的な立場もある方です。

それで、〝この偉いお坊さまに教えていただこう〟と思い、講演のあとに質問ができる時間があったので、「死んだら、人はどうなるのですか。死後の世界はあるのでしょうか?」と率直に尋ねられました。

すると、「それなんですよ…。行ってから帰ってきたという人がいないんです。死後の世界というものがあるのやら、ないのやらよく分からないのです…」と答えられました。

私は、この高僧は大変立派な方だと思います。それだけの立場と肩書きがあるにもかかわらず、正直に分からないと答えられたわけですから。

結局、その時は答えが得られませんでした。その後、大本の特派宣伝使が来ました。大本では、神さまの教えを宣(の)り伝える者を宣伝使と言います。その宣伝使の中でも、大本の職員として地方に派遣された専従の宣伝使を特派宣伝使といいます。

その特派宣伝使に「父はどうなったのでしょうか」と質問した時、「今、お父さんは霊界におられます」という答えから始まり、人というもの、霊界というものについて詳しく聞かされました。

その方は「父は現界からは消えたけど、ちゃんと霊界に存在している」ということが納得でき安心され、このことがきっかけとなり大本に入信されました。

では大本の説く世界観、宇宙観とはどういうものなのか。この大宇宙というのは、二つの世界「現界」と「霊界」から成り立つと教えられています。

現界と霊界


現界というのは私たちが住んでいる世界。目に見える世界です。手で触れることのできる世界。霊界というのは、目には見えません。しかし、確かに存在している世界と教えられています。

そして霊界は大きく分けて天界、中有界(ちゅううかい)、幽界があります。

天界・中有界・幽界


天界は天国、幽界は地獄、中有界というのは、天国にもあらず地獄にもあらず、その中間に位する所です。

霊界について一生懸命宣伝しておられた俳優さんがいましたね。そうです、今どなたかがおっしゃった丹波哲郎さん。丹波さんは、霊界に関して相当専門的に勉強されています。その関係の海外の文献の翻訳もしています。その丹波さんの講演を聞きに行った時、最初に「私が今からお話しさせていただくことは、すべて出口王仁三郎の受け売りでございます」と話し始められました。

私たち信徒は出口王仁三郎聖師と尊称しておりますが、その出口王仁三郎聖師が書かれた『霊界物語』という本がここにあります。大本にとっては大事な教典となる本です。

霊界物語


これは、出口王仁三郎聖師が27歳の時、厳寒2月に、神さまの使いによって亀岡市の穴太(あなお)という所にある高熊山にある大きな岩窟(がんくつ)に連れて行かれ、一週間、飲むことも食べることも許されず霊界での修業をし、その時に見せられたことを口述筆記されたものです。全部で81巻、83冊。一巻、約350ページの文字中心の本を3日に1冊という驚異的な早さで口述しています。

私も教団の機関誌の仕事を通し、書くということに長年携わってきましたが、常識では有り得ないスピードです。

こうして出口王仁三郎聖師は宇宙の成り立ちから、霊界の構成、人生の目的など、詳細に伝えているわけです。過去においても霊界の存在を伝えている人は世界に数多くいます。しかし王仁三郎聖師ほどすべてに渡って詳述している人はいないと言ってもいいと思います。

肉体と精霊からなる「人」


大本の霊界観は今申し上げた通りです。では、人はどういう存在なのか。人は、肉体と精霊から成り立っています。

肉体と聖霊


その関係は、肉体は容器であり、衣であり、精霊が本体であると教えられています。では、死とは何か。それは「肉体と精霊が完全に分離した瞬間」。それを死と定義しています。

肉体と精霊が完全に分離した瞬間


生きているとき、精霊と肉体は一体になっていますが、死んだ瞬間、肉体と精霊は分離します。医学的にいうと、肺と心臓の機能が完全にストップし、瞳孔が散大した状態です。

大本が脳死からの臓器移植に反対しているのも、脳死はまだ肉体と精霊が一体となった状態だからです。脳死状態となっても、肺と心臓の機能は生きている。排泄もあり、髪も爪も、そして体も成長する肉体を死体とすることはできない。したがって脳死が人の死であるという考え方については、大本の教えから認めることはできないのです。

人は死を迎えるとどうなるのか。ある人が死を迎えたと仮定します。その人は、まず中有界に行きます。しかし、例外が二つあり、極善の人は真っすぐ天界に行き、極悪の人は真っすぐ幽界に行くと教えられています。普通の人はまず中有界に行きます。ここで三つの段階を踏んだ後に天界か幽界のいずれかに行きます。その三つの段階とは、「外分の状態」「内分の状態」「準備の状態」というものです。

外分と内分と準備の状態


霊界に行ったばかりの時には、まだ現界にいた時の顔、形、その容ぼうをとどめています。これが「外分の状態」です。しかしこの状態がずっと続くわけではなく、必ず次の段階に進みます。

次が「内分の状態」。内分の状態というのは、生前の顔、形から離れ、自分自身の心が形をとり始めます。きれいな、美しい心の人はきれいな美しい形に、心が醜い人は、そのような形になっていくのです。また人により、外分から内分の状態に変わっていく時間も違います。素直で心がきれいな人は、時間がかからずスムーズにいく。ところが、現界にいるときに偽善ばかりだった人は、移行するのに大変時間がかかると説かれてます。

いずれにしろ、時間の長短があっても、必ずその人が持っている本質、心が姿を現してくるのが霊界です。現界では、「顔なんか見たくもない!」と思っている人が目の前に来ても、にっこりと笑って「おはようございます」と言えます。ところが、霊界ではその嘘(うそ)は通用しない。「こんちくしょう!」と思ったら、その心がそのまま形に出てしまうのです。霊界で嘘は通用しない。ある意味、現界というのはありがたいところなのですね。内面を隠すことができるわけですから。心が全部外に表れてしまったら大変なことになってしまいます。

このように、現界の面影がしっかりと残っている外分の状態から、次第に本質が現れる内分の状態になり、準備としての一定の期間を経て、天界、幽界のいずれかに行きます。

(明日につづきます・2月2日公開)

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Real_col_Movie.gifこの講話のノーカット版動画